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Методология стрельбы, часть 3
Это транскрипт третьей части специальной рубрики シューティングの方法論 (Стрельба без Хоухурона), опубликованной на сайте 4gamer.net в декабре 2005 года. Интервьюер 八重垣那智 (Яегаки Ясутомо).
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Зона D (Разработчик)
商業タイトルが数えるほどしかない「PC専用シューティング」というジャンルに向け,同人という立場から,定期的かつ精力的に,完成度の高い新作を発表し続けているZUN氏。そんな氏に,シューティングの本質と,そこに流れる思想を語ってもらいつつ,PCにおける(FPS以外の)シューティングの将来を模索する本特集は,第1回,第2回と進み,ついに最終回を迎えることとなった。 |
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今回は,ある程度話題が東方から離れることも覚悟のうえで,シューティングというジャンルに携わる制作者の立場から見えるものについて,聞いていきたい。また同時に,その先にあるものが何なのかも,ZUN氏の発言から考えていくことにしよ |
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ZONE D(DEVELOPER) ■制作者から見るプレイヤーの姿 |
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4Gamer |
ここからは,少し抽象的に,ゲーム開発者としての考え方を聞いていきたいと思います。 一般論として,シューティングには始めるまでのハードルが高い印象があります。シューティングをより広い層にプレイしてもらうために,制作者として何か取り組んでいることはありますか? |
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ZUN |
難しいですねぇ(笑)。 ほら,シューティングをやらない人にシューティングをやらせようとすると,返ってくる第一声はまず間違いなく「難しくてできないよ」じゃないですか。 あれはね,できないんじゃない。難しくてできないんじゃなくて,「やりたくない」んです。そのシューティングに魅力を感じてないんですよ。 でも「これどう?」「面白いよ?」って言ってくれた人に「面白くないよ」「やりたくないよ」と言ったら角が立つ。だから「難しくてできないよ」って言うんですね。それはきっと,優しさとかそういうものなんでしょうけど。 |
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4Gamer |
ああ,それは世のシューターのほぼ全員が味わった経験じゃないでしょうか。 |
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ZUN |
しかし,それを真に受けて「そうか,難しくてできないなら,やさしければやるんだ!」という感覚はマズいんです。そうではなくて,やりたくないと思っている人達が「面白そう」と感じる魅力を,作る側が作らなきゃならない。 |
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4Gamer |
そういう「やらない人」には「最後まで行けなくて何が楽しいの?」と言われることがあります。 |
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ZUN |
だとしたら,作る側は,クリアはできるようにしておくべきです。もちろん,その先も考えなきゃいけませんし,一方でクリアしなくても面白くできるとは思いますけど。 |
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4Gamer |
ただ,シューターが味わっているシューティングの面白さというものを,「クリアできる」ことから伝えられるだろうか,という疑問は感じます。 |
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ZUN |
シューターが感じているのと同じ面白さを味わわせる必要はないでしょう。というか,できないですよ。シューティングというのは,ある程度の腕があって初めて面白いと感じるジャンルでもあるので,その感覚を,やらない人にいくら説いても,絶対に分かってもらえないでしょうね。 それって,一流のスポーツ選手が死にそうな形相で練習してるのを「何が楽しいの?」というのと同じことです。あれは,たぶんですけど,本人は楽しいんですよ。 そこまで到達しないと分からないものを,到達していない人に説いちゃいけない。そこまで引っぱっていくのもいいんですけど,その前にまず,ゲームとしての魅力が絶対条件だと思います。 |
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4Gamer |
ゲームとしての魅力,という話をすると,プレイヤーは必ずしも全体を見て魅力を感じるのではなく,それこそゲーム性だけ,キャラクターだけを見て,そこに魅力を感じる場合もあると思います。 |
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ZUN |
そうですね,僕は東方で,作る側としてそこをとくに注意しています。ゲーム性だけ,キャラクターだけ,あるいは世界観だけを見て,プレイヤーがそこで止まってしまわないようにしているつもりです。 |
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4Gamer |
それが,先のRPGの例(編注:第1回参照)であった,ゲームの分離や分解を避けるということですね。 |
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ZUN |
まあ,プレイヤーは分離させがちなんですけどね。ただそれでも「キャラクターが魅力的だからゲームが面白くなる」「ゲームが面白いからキャラクターが魅力的になる」という関係性は絶対にあるはずです。 プレイヤーの中でシューティング部分とストーリーを分離させてしまっては,かなりマズい。東方においては,絶対にこうならないようにしようと。 |
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4Gamer |
長く東方に触れているプレイヤーほど,シューティングだけ,キャラだけといった感じで分離してしまうような印象を持っていますが,そのあたりはどうでしょう。 |
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ZUN |
確かに何作も続けていると,遊ぶ人も同じような人が多くなってきます。するとこちら側もある程度,プレイヤーが“分かっている”ことに甘えて「分かっているだろうから,こんな感じでいいのかな」が出てきちゃう。これをそのまま放置すると,分離が起こってきてしまうから,毎回毎回考え直してみないといけないなと思うわけです。 |
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4Gamer |
その考えを延長していくと,今の技術と手法で過去の作品をリメイクしたくなってきたりはしませんか? |
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ZUN |
確かにそうなんですけど,それをやると大変ですからね。はっきり言って,大変さの度合いは新作を1本作るのと同じ。だったら,新しいの作ったほうが楽しそうだなと。 昔のものをリメイクすれば,自分にはものすごく勉強になると思うんです。きっと僕はかなり成長する。でも,遊ぶ人はどうだろう? 喜ぶ人はいるかもしれないけど,そうじゃない人もたぶんいる。だったら,同じ労力なんだし,新しいものを作りたいですね。 選択肢として悪くはないんけど,今のところその予定はまったくないという感じですか。だいたい,昔のゲームは,あんまり覚えてないですし(笑)。 |
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4Gamer |
追加ディスクみたいなものはどうでしょう? 映画のディレクターズカットのような,制作者がやりたかった部分を追加した完全版のようなものを出すという考え方もあります。 |
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ZUN |
それって付け足して出す場合ですよね? 実は,花映塚で追加ディスクを出してもいいんじゃないかとは思ったんですよ。キャラを増やして出して。そもそも増やしやすい構造はしているんですけど,ただ,その作業をする時間はない。 もし僕が二人いて,片方が新作の企画を考えている間,もう片方がやってくれるならいいですけど。新しいことを考えているときには,ほかのことをやる余裕なんて一切ないのが一番大きな理由かもしれません。 |
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4Gamer |
あるいは,MODではないですけど,それこそ同人的に二次創作(編注:ある創作物の世界を利用して,別個の創作を行うこと,あるいはその結果。オリジナルの創作物を「一次創作」と捉える流れから生まれている)で誰かが追加できるようにするというのも考えられますが。 |
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ZUN |
ああ,キャラを簡単に追加できるようにして,「勝手にキャラ増やしてください」ってアプローチはありかもしれないですね。 ただ,付け足して出すって行為には,商業的な臭いがどうしてもつきまといます。たぶん見た人は,「簡単に儲けようと思ってるな」と思うんじゃないかなと。しかも,そう思われる割に,実態はなかなか簡単じゃないのがまた問題で。この時点でもうマイナスポイントが二つもあるから,なかなか踏み切れない。 追加ディスクだ,完全版だというのは,本当に商売っぽく見えるし,実際商売ですよね。喜ぶ人はいると思うけど,それを実行するヒマがあるなら,違うことをやろうかなって。 |
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4Gamer |
確かに,ファンはそういった気配に敏感かもしれません。 |
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ZUN |
作り手が本当にあざといかどうかは別の話ですよ。本当に,どうしてもやりたかったことがあったり,時間とかの理由で入れられなかった要素をやっぱり入れてみたかったりはします。あと,バランスが悪かったから調整してみたりとか。 でも,一つのゲームでやりたかったことをやり過ぎたりしないほうがいいのかな,とも思いますね。むしろそこは,あえて残しておくぐらいのほうが,次の意欲になるのかもしれない。あるゲームを「完全」といえる状態まで持っていったら,次をまたイチから作るときに大変かなと。 |
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4Gamer |
だからアーケードのような,あからさまにダッシュだターボだというような形は取らないわけですね。 |
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ZUN |
そこはそのとおりです。前に言いましたけど,続編だって作ってません。もちろん,それぞれの作品が過去の作品とつながっていないかというと全然そうじゃなくて,つながりまくっているんだけど,でも続編じゃない。ゲーム自体はちょっとずつ離れています。 |
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4Gamer |
そこまで「続編ではない」ことにこだわる理由はなんでしょうか。 |
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ZUN |
シューティングで「続編」というと,パワーアップされているイメージが必要なんですよ。続編になったとき,前作よりもパワーアップしたイメージがないと,続編としては何か不完全な感じを受けてしまう。 でも東方は,毎回同じようなものを同じようなペースで出しているだけ。パワーアップしてるわけじゃないんです。同じように見えるだけで,全然違うものなんだけど,でも東方という意味では同じ。そういうことをやれるのが同人のいいところですね。 |
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4Gamer |
シリーズではなく,通し番号がついていないから,どこからでも入りやすいというのはあります。 |
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ZUN |
商業の続編だと,まず前作のファンを満足させなきゃいけない。 でも東方は商業ではなくて,同人ですから。プロデュース面とか,そういうところに縛られていないのが,ゲームにも出ていると思うんですよ。言い方はよくないかもしれないけど,“お客に対する卑屈さ”は出ていない。ちょっと傲慢なくらいの感じが出てるんじゃないかと(笑)。 |
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しかし,それはそれでリメイクというか,リフレッシュされた過去作品というものは,プレイヤー側も得るものがかなりあるのではないかと考える。アーケードのシューティングだと,家庭用への移植という過程で(確率的にはまれだが)完成度が向上するといった例が見受けられるからだ。 もっとも,アーケードの家庭用移植では,アーケードの正確なクローンとしてのニーズ,バグも含めたオリジナル尊重という価値観が優先される。それゆえ,必ずしもリフレッシュやブラッシュアップが歓迎されるかというと,難しい部分はあるのだが。 |
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■「面白いゲームを作れば売れる」は幻想 |
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4Gamer |
ZUNさんの場合,ゲーム会社に勤めるプロのゲームクリエイターという側面と,同人クリエイターという側面の,二つの顔を持っています。この二つの立場から,遊ぶ側,もっといえば買う側の意識の違いというものを,考えたことはありますか? |
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ZUN |
答えになっているかどうか分かりませんが,面白いゲームを作れば売れるというのは幻想の話で,「面白いという評判が広まれば売れる」が,今はたぶん正しいですね。要するに,クチコミで広まれば売れるという感覚です。 買っている人も皆,「これは面白いから買う」と感じていると思うんだけど,でも本当にそうかと考えてみると微妙で。聞いた評判が前作を指したものだったり,商業タイトルの場合は,ヘタするとタイトルが同じだけで,プロデューサーが違っていることすらあります。 |
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4Gamer |
今はインターネット社会ですから,昔よりも,余計にその傾向になっているかもしれませんね。 |
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ZUN |
いろいろなゲームを遊んで,その結果「面白い」と評価したものがクチコミによって伝わればいいんですけど,当然そんなわけにはいきませんから。そういう意味では,面白いという評判が立ったもの勝ち,もしくは売れたもの勝ちみたいな現実も,なくはないですね。 |
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4Gamer |
商業タイトルは言うまでもなく商売ですから,「問屋さんの伝票をいくつ集めるか」というところに流れや構造が集約されています。 |
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ZUN |
商業だと「店に売れればいい」ですよね。それってとどのつまり,「一番影響力があるのはゲーム雑誌や発売前のレビューである」こととイコールだったりして。ああいうところで高い評価を受ければ仕入れてもらえる。だから, レビュアーの好みの影響が大きくなって,あまりゲームと関係ないところに狙いどころが進んでいってしまうんですよね。 |
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4Gamer |
ただ,それは最近の同人タイトルでも同じことが言えませんか? 同人ショップという存在が台頭してきた結果,そこで特集してもらうとかいったことが,売るための常套手段になっているような印象も受けます。 |
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ZUN |
確かに,同人ショップの人にちょっと紹介してもらえたりすれば話題になりますから,そのショップ限定の小冊子を付けたりするようなところはありますよね。そうやって「推してもらう」流れになるのは,同人としてやっぱり嫌だなあってのは,個人的には感じます。 |
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4Gamer |
即売会などの同人イベントではどうですか? |
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ZUN |
同人イベントでものを買うときって,たいていサークルの名前で買いますよね。中を見ないで買うというか。うちはゲームなんでしょうがないですけど,並んだらすぐ買って出て行かないと,次の人に迷惑ですし。 そうなると,中身がいいから買うというというのとは,かなり違う話になってきます。 |
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4Gamer |
ある意味,商業作品以上にクチコミの世界になってしまいますね。後悔したくないなら,とりあえず買っておけ,みたいな。 |
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ZUN |
並んでダメなものだったら,次に影響するとは思いますけどね。 断言はできないけど,大きなサークルが増えてきて,商業に似た固定化があるのかなといった印象はあります。 |
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4Gamer |
上海アリス幻樂団も「大きなサークル」の一つであるわけですが。 |
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ZUN |
シューティングゲームで,あんなに並ぶのはあり得ないといつも思ってますけどね(笑)。 ただ,東方がシューティングで,オリジナルで,日本をテーマにしてるのは,自分の中では自慢だったりします。典型的な日本のゲームにして,「これは日本で作ってるよ」ってイメージを打ち出して,しかも遊ぶ人を選ぶ弾幕シューティングをわざわざ作っているというのは,うちのサークルの自慢です。自分しかいないサークルですけど。 |
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4Gamer |
同人サークルに対するファンの存在の話が出てきましたが,東方の場合は硬派なシューティング寄りの人と,世界観やキャラクターに寄った人が,両立しているように見えます。相反する要素のファン,両方をつかんでいるのは,ユニークで面白いと思うんですが。 |
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ZUN |
そうなんですよ。シューティングとしてうちの作品を遊ぶ人と,キャラクターを重視して遊ぶ人と,かなり前から二分化してますね。 |
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4Gamer |
この分化についてはどう考えていますか? 先ほどの「シューティング部分とストーリー部分に分離」というのではなく,あくまでゲーム全体を享受しているプレイヤーの間で生じている分化についてですが。 |
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ZUN |
僕の意見を述べるとすれば,「分かれているところを大切にしたい」になりますね。シューティングに寄っている人と,キャラクターに寄っている人を両方抱えているというのは,ゲームがいろいろな面を持っているという証だからです。 プレイヤーが分化しているというのは,東方の中だけで「自分達はキャラじゃなくて弾幕が好きなんだ」と意見を言える相手がいるということでもあります。偏ったゲームではなかなかこうはいかないですよね。 |
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4Gamer |
なるほど,それは面白い視点ですね。 |
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ZUN |
キャラ寄りで東方を見ている人の中でも,調べてみると「オレはこの作品からやってて,こんなに詳しい」ことに優越性を感じている人がいたり,何かの拍子で新しく入ってきた人がいたり,層があるんですね。こういうのも大切に残していきたいと思っています。 |
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4Gamer |
そういう人達の真ん中で振り回されると感じたりすることはありますか? 「世界設定の統一性」が期待されていることをプレッシャーに感じたり,制約を受けたりとか。 |
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ZUN |
東方はシューティングなので,ストーリーは細かく設定していないですし,中身をそれほど深く伝えているわけでもないから,そういったプレッシャーみたいなものはありません。 こんな状態ですから,遊んだだけだと,キャラの相関とかがよく分からない。だからいろいろな人が二次創作という形で補完しようとしますよね。 ただ,僕は周りの二次創作を見てないんです。見てない状態で進んでいる。だから,そういったもの関係なしに次を出します。すると,僕とは解釈の違うものが当然生じてくるんですけど,意外と皆,僕の作ったストーリーを受け入れてくれる。キャラの性格がちょっと変わっても,しばらくしたら受け入れて馴染んでくれる。これは凄くありがたいです。 |
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4Gamer |
例えば魔理沙の口調とか,そういう感じですね。 |
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ZUN |
ええ。確かに変わってますね。でも一方で世界観とかは,結構緻密だったりするんですよ。ゲームがゲームだから,説明し切れないだけで。 実は,東方ではぎっしりといろいろ設定されています。その大きな世界から,重要なところだけ切り出している感じですね。世界の一部を切り出したものがゲームとして出ているから,突然遊ぶと面食らう“常識”があったりするわけです。 |
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4Gamer |
とはいえ,分からないなりに楽しめたりします。あれはなぜなんでしょう? |
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ZUN |
出てくる内容の多くが,現実にあるものだからでしょうね。日本人なら分かるようにはしてあるんですよ。まだ何も説明してない部分は結構ありますけど,そもそも説明不要かなってところもなくはないですし。 「こういうキャラクターがここに住んでて……」という設定ではなく,「1面ボスがこうだったから2面ボスはこう」ってところから発想してしまう場合が多いんですね。やっぱりシューティングなので,面構成からキャラクターを作る。そこで変な設定を持ち出すと,面構成との辻褄が合わなくなってしまうから,そこはあえてゲーム優先です。 |
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4Gamer |
結論として,ファンは東方の何に魅力を感じていると考えていますか? 意地悪な言い方ですが,未開のブームを先取りしたい人や,面白いものを発掘した事実を自慢したい人が騒いでいると見ることもできると思います。 |
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ZUN |
それは凄く多いですよ。シューティングってジャンルには,そういった,大きなブームを嫌っている人も多いですし。 何かを見つけて盛り上げていくのに,盛り上がったら「なんか違う」って手を引いてしまう人がいる。「これ面白いよ」って広めるんだけど,ちょっと人気が出るとそのゲームは嫌いになる。また違うゲームで「今度はこっちが面白いよ」って。 ほかの人がクリアできないところを,自分ならできるからいいのに,ほかの人もできるようになったらダメみたいな。そういうのがどこかにありますよね。自分でもたまに,そう思うときがあって,自分はクリアできるんだけど,ほかの人は「やってらんないよ」って文句をいうくらいが快感というか。 |
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4Gamer |
そういった人達による批評を,どう捉えていますか? 一般論として,インターネット上では批判が多くなりがちなわけですが。 |
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ZUN |
文句を言われるようなゲームというのは,それだけ言ってくれる人がいるわけだから,実は凄いんですよ。本当につまらないゲームには,誰も何も言ってくれない。クリエイターが一番恐れているのはそこなんです。何の話題にもならず,スルーされてしまうのが最大の恐怖です。スルーされるくらいなら,皆で叩きまくってくれたほうが全然いい。 ただ,そういった批判から改善点が出てくるかといえば,それは微妙です。否定的な意見に耳は傾けますけど,そこで否定的な意見を肯定的に変えようとするのは,危険だと思います。 |
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4Gamer |
それはなぜですか? |
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ZUN |
否定的な意見が,言う側にも言われる側にもプラスになっている場合が多々あるからです。例えば,花映塚に対して否定的な意見を言っている人がいるとしますよね。このときその人は,花映塚に対して満足ではないんですけど,“シューティングについて語れる”点では満足な状態にあるかもしれない。もしそうだとしたら,そこは大切にする必要があります。 だから,「ここはそうするべきだ」と言われて,「はい直します」ってわけにもいかないし,反対に「ここはいい」って言われて「なら次もそうします」というのもマズい。「なぜこの人達は,そういう否定的,あるいは肯定的な意見を出すに至ったのか?」という点を,自分の中で考えて次に昇華していくのが一番大切だと考えています。否定的な意見を聞いて,それを改善していくやり方ってのは,完全に商売としてのやり方でしかないので。 幸いにして,僕は東方を同人でやっていて,冗談抜きで,全然売れなくてもいい状態にあります。だからどうとでもなる。自分の中でこうなるべきだって思ったことを突き詰めていく。せっかく趣味でやっているんですからね。 |
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世の中には,シューティングゲームのルーツと発展がアーケードの世界でほぼ純粋に育まれてきたことを背景にした,ある意味「アーケードシューティング至上主義」のような思想がある。アーケード以外のプラットフォームにおけるシューティングは傍流,あるいは劣化コピーと見なされる雰囲気が存在するのだ。そして伝統的に,スコアを競争するシビアな文化やシステムがそこにはあり,スコア競争で頂点に位置づけられるプレイヤーの中には,それこそ身を削るようにして点数を稼ぎ出している人もいる。 そうした主義主張がある以上,PC用,しかも同人ソフトである東方の存在そのものが反目されることは十分に起こりえる。このことについて,失礼を承知で聞いてみたところ,結局はそれも立場の一つでしかないとのことだった。 PC版シューティングと距離を置きたがる人達から,距離を置かれているという時点で,東方は存在価値を獲得している。だから,その人達の距離感を大切にすべきで,無理にプレイヤーとして引き込む必要はない――これがZUN氏の主張である。東方を認めない人にとっても存在価値があるというのは,かなり興味深い考察ではないかと思う。 |
Зона F (Будущее)
ZONE F (FUTURE) ■東方が目指すもの |
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4Gamer |
そろそろ,まとめに入っていきたいと思います。 以前,日記のほうでネットゲーセンのような構想があると書かれていましたが,これについての考えを聞かせてください。 |
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ZUN |
やりたいですねぇ。ただ,技術的に難しいこともいっぱいあるので。 |
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4Gamer |
ネットゲーセンという言葉からは,短絡的に,花映塚の発展というか,対戦をイメージしてしまいがちですが……。 |
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ZUN |
いや,対戦というわけじゃないですね。僕が一番やりたいのは,ネット上でゲームを交えたコミュニティが存在するようになること。ゲーセンのように,誰かがプレイしている状態を,いつでも自由に見られるような感じです。 技術的に出来るかどうかはまだ分かりませんけど,ここで対戦にこだわる必要はない。人と人がつながる必要もない。自分でプレイ内容を発信できたりするような感じでもいいですし。 それで,見ているほうには「歓声」ボタンがあって,押すと,プレイしている人の画面に「うぉ~」とか「すげぇ」とか出る。これだけで何となく楽しいじゃないですか。凄いプレイに対しては“ネットギャラリー”の人だかりができて。 |
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4Gamer |
確かにそれはゲームセンターのイメージですね。 |
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ZUN |
ゲームをやっている人と,見ている人が一緒に存在する場所を作ってみたい。その前提として,すでに東方にはそういった土壌が生まれているんじゃないかな,と考えていたりもします。正直,ゲームシステムだけをチクチクいじっているよりは,本当に新しいものを作りたいというのもありますし。 現時点では夢物語ですけどね。花映塚のネット対戦をやってみて,「できるかどうかっていえばできるかな?」って感じです。 |
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4Gamer |
ゲームを媒介にして人を集めるとなると,既存,もしくはこれから出てくる商業コンテンツと,同人だからということに関係なく直接競合してしまうと思うのですが。「オンライン上で行われるサービス」という意味で,ですけれども。 |
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ZUN |
そのあたりは,あまり深くは考えていないんですけど(笑)。 僕は「そういうのがあったら面白いな」ぐらいしか考えていないので。別に,将来的に必ず立ち上げなきゃならないという公約もありませんしね。それをゲームの根幹に据えるつもりもないんです。もしかしたら,それこそ「単純に思いつきで付けてみました」になるかもしれない。 ただ,本格的にやるとしたら,それがメリットになるようなものを考えたいですね。それをやることによって,そのゲームの魅力が増すとか。とりあえず今の段階では,考えている方向の一つとして,そういうのもあるよってレベルです。ほかにも「こういうのをやりたい」というアイデアはありますから。 |
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4Gamer |
花映塚のネット対戦パッチに触っている限り,今説明があったようなネットゲーセンというものの実現は,そう遠くないような気もしますが。 |
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ZUN |
あれは今思い返しても大きな実験ですね。仮に完璧な同期が取れたとしても,やっぱりいろいろと問題はあると思うんですよ。つないでいる相手が分からないのはイヤって人がいるかもしれないし。 人間が入ってくると,どうしても人間同士の問題とか,人間関係の問題とかがたくさん出てきますよね。それを助長するのもまずいなとは思う。わけの分からない人が入ってきて,場を荒らして帰っていくとか,そういうのはどうしても起こりえるから,それにも気をつけなきゃならない。 そういうことを考えているとやりにくいから,花映塚ではおまけになったとか,そんな感じではあります。おまけでとりあえず出してみて,反応あるかな,ちゃんと動くのかなって。 ネットゲーセンというものを構想するあたりにも驚くが,その中のイメージにギャラリーという存在が含まれているのはちょっと面白く感じた。しかし,現実のゲーセンにおけるギャラリーは,色々とややこしい立場に立たされていて,必ずしも肯定的に捉えられてはいない側面があるのは事実だ。考え過ぎかもしれないが,筆者の中には「人間同士の問題が出てくるとすれば,こういうところが発端なのかな」などと,過去の経験から想像したりする自分もいる。 |
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■商業と同人のはざまで |
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4Gamer |
これから先の東方というものを考えた場合,東方が同人ベースであることについては,どのように捉えていますか? 例えば「東方文花帖」(2005年,一迅社)などは商業ベースの出版物なわけですが。 |
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ZUN |
本に関してはずっと前から依頼されていて,お世話になっているってこともあって,出してみることにしました。でもどうせ出すなら,新作で変わったもの出そうかなと。あれでえらい目に遭いました。書く量多すぎてやってられん……ていう(笑)。 でも,実際に以前から商業媒体で小説書いたりとかしているわけですから,最終的にはそれほど違和感なく。ファンからすれば,どこから出てもたぶん大丈夫だと思うんですよ。商業で出てイヤだと思うとしたら,出す会社がそれで儲けようとしてる気配が強いときですよね。 あの本は不思議なことに,商業ラインであるにもかかわらず,同人ショップでしかほとんど扱われていない。本当に商業流通なのかって思うくらい。普通の書店には全然売っていないのに,でも結構売れています。面白いというか,そんなことってあるんだなぁと。 |
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4Gamer |
既存の流通に依存しているかどうかなんて,エンドユーザーにとっては,もはやどうでもいいことなのかもしれませんね。 |
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ZUN |
東方は特殊なのかもしれません。まず第一に,同人なのに18禁要素がない(笑)。自分で言うのもなんですけど,パッケージも特殊ですよね。普通,ゲームってキャラクターを前面に出すから,その中で東方だけ明らかに浮いている気が。同じ同人シューティングというジャンルの中で見ても,見た目の雰囲気が何か違う。「キャラの魅力が」とか言ってるのに,パッケージにはキャラがシルエットしか出ていないわけですから。 もしプロデューサーというか,横から口を出す人がいれば「今回はこのキャラで押しましょう」とか言われるでしょうね。ただそれは,自分の本意ではない。ちゃんとプロデュースしていけば,もっとデカくできるよって話もあるんですけど,それをあえてしないことで,そういうことをあまり好ましく思わない人が,むしろ付いてきてくれるのかなって。 |
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4Gamer |
そういうプロデュースや展開の部分について,もっとうまくやれば,という意見が来ることはありますか? |
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ZUN |
考えている人はいるでしょうね。「もっとうまくやれば,もっと儲かるのに」っていうのは,意外と多いかもしれません。それを言えないのは,そんな気がまるでないことを,僕がずっと匂わせたり言ってたりするからでしょう。 実は,かなり初期のころからコンシューマ化とかアーケード化って話はあったんですよ。たぶん偉そうに聞こえると思うんですけど,正直,やれば話題になると,思うというか分かります。でも,それが東方の目的ではない。だから,今のところ実現していません。 |
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4Gamer |
では具体的に,これから東方がどんな方向に向かっていこうとしているのか,漠然としたものでも構わないので教えてください。 |
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ZUN |
僕の場合はあくまで趣味なんですよね。本当に趣味なので,あまり大々的になり過ぎても困るから,シューティングが好きで,こういうの出されたら喜ぶだろうなって人だけを対象に出していたんですけど……。 自分からは宣伝とかもしたことないんですが,そのうちどんどんデカくなって,いろいろな人が遊ぶようになって,このインタビューみたいに,いろいろなところで東方という名前が露出するようになってくる。こうなってくると,僕の立場は結構微妙になってきて「どうしたものかなぁ」といったところです(笑)。 |
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4Gamer |
端から見ていると,大きくしているように見えなくもないですよね。 |
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ZUN |
そうなんですよ。僕が自分からガンガンやっているように見えてしまうのが一番怖い。 今の日記のスタンスでもそうなんですけど,たまにポロっと「新しいのを作ってみましたけど,どうですか?」くらいの感覚でやっているので。 ただ,世間一般では「同人ゲームの最終目的は,会社化して商業ゲームになること」と思っている人も少なくないと思うんですよ。 |
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4Gamer |
確かに,商業化したサークルもありますし,実態は企業というサークルも少なくありません。しかし,だとすると,東方における最終目標というのは,何なのでしょうか? |
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ZUN |
東方の最終目標ですか。これを作ったら終わりだっていうのは,あまり考えていないから,一番の目的は自己満足ですかね。 東方をいくつまで作ろうというのもありませんし,いつか東方をこういうゲームにしようっていう最終目標もないです。 近い目標だったらいっぱいありますよ。ノルマに近いものとして,冬のイベントまでに「東方文花帖~Shoot the Bullet」を作るとか,その次の夏にはこれこれを作ろうとかはある。でも,最終的に商業化してこうしようってのはない。だから,もし会社を作ったとして,デカいゲーム会社になったとしても,たぶんそれは最終目標ではないんです。最初からそこを目指してないから,もしなったとしても違う。 |
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4Gamer |
嫌な質問ですが,商業化自体は選択肢として排除しない? |
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ZUN |
もちろん,目指してないからといって,そうならないとは言わないですよ。東方を商業に持って行くって目標はないけど,絶対に持って行かないとも言わない。そういう感覚ですね。「商業は絶対嫌だ,同人でやっていく」っていうこだわりもない。 今は今で,今の一番いいものを出している。そして,僕がある程度満足するぐらいのものを今後も出し続けていく。だから,シューティングしか作らない,なんて一度も言ってないわけです。違うものに手を出してくことも当然ありえます。 |
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4Gamer |
多くの同人ソフトは,同人でなければできないことをしているというか,同人であろうとしています。今の話からすると,東方は,ほかの同人ソフトとその点でまったく異なる印象を受けるのですが。 |
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ZUN |
同人ゲームって,フリーソフトの奔放さに比べると,発想が出にくい場所だと思うんですよ。「このゲームのパロディとして出す」とかは多いんですが,そこを超えようとするものは思いの外少ない。 コンシューマやアーケードで出た新作ゲームをパロディにしたようなのはいくらでも出るんですけど,それがオリジナル,って作品は実は凄く少ないって感じますね。それこそ同人ショップとかに行って見てみても,パロディが多いですし。 |
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4Gamer |
明確に意識されているわけではないかもしれませんが,オリジナルを出すと,制作者としての力量の多く,もしくはすべてが問われかねないというイメージがあるのではないでしょうか? それが,作り手にリスクや怖さを感じさせているのでは? |
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ZUN |
それはあるかもしれないですね。正直,今の立場だと,東方を始めたときと同じような感覚では受け取ってもらえないかもしれませんが,僕は怖いと思ったことはないです。 ただ,自己表現を外から否定されると,自己否定につながってしまう危険はありますよね。二次創作だと,出したものが否定されようが何だろうが,「自分が否定されたのではない」と考えて,心の平穏を保てるかもしれない。でも,自分が本気を出して作ったものが叩かれたりすると,確かに凹むかもしれない。それを怖がってしまうのかな? オリジナルでストーリー考えてストーリーをけなされたら,もう全否定なんじゃないかって。 |
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4Gamer |
表現することに目的があれば,他人の評価は本来関係ないのかもしれないと言い切れるんでしょうけどね。どこかに肯定されたい,褒められたいという意識があるようにも見えます。 |
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ZUN |
褒められたいっていうのは,ゲームを作る動機としてはありがちだと思いますけど,難しい話です。褒められたいからやるとき,最初に考えるのは「何をやったら褒められるか」ですよね。相手が何を望んでいるかが重要になるから,商業的な発想に近くなる。今あるものから,否定される部分を取り除いて,肯定の部分だけを採り上げていく。それって,面白いかなぁ。 |
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4Gamer |
だから,ZUNさんの場合は,「自己満足」が目標になっているわけですね。 |
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ZUN |
目の前のゲームを作っているときは,「これができたら相当満足するだろうな」と思って作ってますね。ただ,終わってみると案外そうでもない。だから次も次もといった感じです。 ゲームを作るというのは結構大きな目標ですけど,本当はその上にさらに目標があって,それのためにゲームが作りたいはずなんです。そういう意味では,もしかしたら,自己満足というよりむしろ,僕が表現したい大きな目標を成しえた「達成感」を目指す,という言葉のほうが適切かもしれないですね。 |
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■「東方文花帖~Shoot the Bullet」に流れるもの |
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4Gamer |
さて,いよいよ締めということで,最後に新作「東方文花帖~Shoot the Bullet」について,少し伺えればと思います。すでにZUNさんの日記で情報公開が始まっているので,ゲームの全体像ではなく,思想的なところを聞けたらと思うのですが。 |
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ZUN |
今回は,「こういう遊び方もできますよ」という提案ですね。触ったことがないシステムだけど,やってみると凄く自然に遊べる,というのが目的です。 スコアに関しても,簡潔で奥深くなるように構築しています。あと,作品自体に何の違和感もないスコアリングを意識しました。 将来的には「評判が良かったらこういうことを今後も平気でやろうかな」くらいの感じですね。 |
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4Gamer |
それそのものが「東方」として自然である限り,何をしても,プレイヤーはついてきてくれるんじゃないでしょうか? それこそ,“シューティング”が写真を撮ることだったとしても。 |
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ZUN |
実は今回のシステムというのは,「東方紅魔郷」を作った後くらいから考えてたんですよ。いずれこういうゲームを作ってみたいなって。そのときは大々的なゲームを考えていたんですけど,それだけでゲーム1本を考えると,ちょっとお腹一杯かなと思ったので,小さめなゲームとして出してみようかと。 東方のファンの中には,こういう“ちょっと面白い”ゲーム,実験的なゲームを好きな人が結構いるんじゃないかなと期待してたりもします。「なぜ東方って名前を使ってるんだ?」という疑問が,プレイヤーの誰の頭にも湧かないような感じにはしたつもりです。 |
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4Gamer |
1プレイ1分と日記で発表されていますが,このあたりからは,花映塚をさらに先鋭化させたような印象も受けます。 |
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ZUN |
実はそこは,アーケードじゃできないことをやろうっていうのがありますね。僕がアーケードのシューティングを好きだったから,花映塚も含めて,これまではどうしてもアーケードを引きずっているところが多かったんですよ。それで「アーケードの常識を引っ張り過ぎているから,一度PCに特化したものを作ってみたいな」と思っていました。そういう意味で今回は,僕の中の原点に戻っているというか,開発してる僕が楽しいものを作ってますね。 |
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4Gamer |
現在は開発中だと思いますが,状況はいかがでしょう。 |
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ZUN |
一番の問題は,間に合うかどうかですね(笑)。あとは,僕が遊んで必死に全部調整するという,最重要の部分が残っています。 今回はとくにそこが重要なので,延々とテストしているところです。面白くて,ついつい本気で遊んじゃって,テストが先に進まないとか。やらなきゃいけないことがいっぱいあるのにって思いながら「あと何点取れそう」とか。そういうことをやってます。 |
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4Gamer |
正直なところ,夏にゲーム,冬が音楽CDという流れがあったので,この冬のイベントは音楽CDが出るに違いないと思っていたのですが……。 |
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ZUN |
誰もがそう思ってるときこそ,違うことをやらないと。というか,音楽CDが出ると思われているときに音楽をCD出そうとすると,ハードルが高くなるんですよ。ゲームが出ると思われているときにゲームを出すのも大変です。「何か凄いものを作らないといけないんじゃないか」とか思ったりして。 今回のように,そうじゃないタイミングで出すときは,結構気楽です。やりたい放題やれる。格闘ゲームの避け攻撃じゃないですけど,そういう感じはあります。 |
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ZUN |
もっとも,実は僕もこの冬は音楽CDを作るつもりだったんですよ。でもうっかりゲーム作っちゃったから(笑)。 |
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インタビュー時間は5時間弱。一人のゲームクリエイターに対する取材としては,異例といえる長い時間だ。 そんな濃い時間を終えてみると,シューティングというアプローチで,商業流通でないというハンデを抱えながら,数多くのファンをトリコにする秘密の一端が分かったような気がする。手当たり次第に手を出すのではなく,プレイヤー自身が,自分の趣味や好みの方向性を十分理解したうえで,プレイするゲームを選ぶことが当たり前になった現在。この時代にあって,東方が支持されているのは,やはり,かなり凄いことなのだ。 |
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おそらく,東方というコンテンツは,ある程度の未来まで,その独特な立ち位置と距離感を保ったまま,新しい何かを産み出し続けていくに違いない。それを見届けたいと思わせる「力」が,制作者にも作品にもあることを確信した。 帰り際,ZUN氏は「ゲームそのものについてこんなにたくさん話したインタビューは珍しい」と話していたが,まだまだ面白い話が聞けそうで,少々もったいない気がしたのも確か。とりあえず今は,冬の新作を楽しみに待ちたいと思っている。 |
Источники
- ―特集― シューティングの方法論 第3回 (Зона D)
- ―特集― シューティングの方法論 第3回 (Зона F)