Strange Articles of the Outer World/Длинное интервью с ZUN'ом

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【連載】ZUN氏5万字ロングインタビュー!聞き手・ひろゆき

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ひろゆきさんが来ない

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Part 1

あれ?大学入るまでゲーム以外のことほとんどしてないのでは?東方Project作者ZUNさんの半生を聞く(聞き手のひろゆきさんは2時間遅刻しました)

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 ついにスタートした「東方我楽多叢誌」。その最初の企画として、「東方Project」(以下、「東方」)の生みの親であるZUN氏のロングインタビューを、全10回に渡ってお届けします。

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 1996年に誕生し、2002年からはWindows用の同人ゲームとして展開されている「東方Project」。シューティングゲームを中心としたそのゲームの大半は、同人サークル「上海アリス幻樂団」を主宰しているZUN氏が、プログラム、ストーリー、イラスト、音楽に至るまで、そのすべてをたった1人で作り上げています。

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 さらに現在では、ファンの二次創作による同人誌、同人ゲーム、アレンジ楽曲など、さまざまな形で「東方」の世界が拡大しており、その領域は、PlayStation 4やNintendo Switchといったコンシューマゲーム機、スマートフォンゲームにまで広がっています。

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 今回のロングインタビューは、「東方」をイチから生み出したZUN氏自身の半生と、「東方Project」がこれまで歩んできた道のりを振り返ってもらう企画です。

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 「東方」のキャラクターや音楽が気になっているけれど、そもそも「東方」とはどういうものなのかよくわからないという人でも、これを読めば「東方」の全体像と、その作者のZUN氏について知ることができる内容を目指して企画されました。

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 この企画の聞き手には、匿名掲示板「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)」の元管理人として知られる、ひろゆき(西村博之)氏にお願いしました。ひろゆき氏はZUN氏とよく酒を酌み交わしている友人なのですが、じつはひろゆき氏は「東方」について、あまりよく知らないとのこと。そのぶん、「東方」に詳しくない人でもわかりやすい視点から、「東方」とZUN氏の表と裏を、あれやこれやと引き出してくれるはずです。

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 ……ところが取材の開始時刻になっても、ひろゆき氏が会場に現れないという緊急事態が発生! 対談相手が不在という異例の状況で、ZUN氏への取材がスタートしたのですが、いったいこの企画はどうなるのでしょうか……!?

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ひろゆき氏不在で対談(?)がスタート

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――

今回はZUNさんとひろゆきさんの対談だったのですが……。やはりというかなんというか、ひろゆきさんはまだ来ていないですね(苦笑)。

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ZUN

 ちょうど今、起きたぐらいの感じですかね? 

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――

こちらに向かってはいるようなので、時間もないので先に始めましょう。ZUNさんといえば、まずは乾杯【※】からですね。こちらはお茶で失礼しますが、ZUNさんのためにいろんな種類のビールをご用意しましたので。

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ZUNさんといえば、まずは乾杯
ZUN氏はインタビューやトークイベント、インターネットの生配信など、人前で話す時はほぼ必ず、お酒を飲みながら語るスタイルになっている。

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Everyone

かんぱ~い!

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ゲーム漬けの少年時代

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――

まずは、ZUNさんの生い立ちからお聞きしていこうと思います。小さい頃は、どんなお子さんだったのですか?

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ZUN

僕は長野の白馬村で生まれまして。小さい頃は、ゲームと虫が大好きな子どもでしたね。

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――

ゲームは何歳ぐらいからお好きだったんですか? 

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ZUN

保育園の頃からです。1982~83年ぐらい。

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――

ということは、ファミコンが発売される直前の時期ですね。

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ZUN

ファミコンよりも前に、“ゲーム&ウォッチ(電子ゲーム)【※】”で遊んでいました。それと、家が喫茶店だったので、アーケードのテーブル筐体があったんですよ。あとは、白馬村にはスキー場がたくさんあるので、そのレストハウスにもアーケードゲームがいっぱい置いてありましたし。

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ゲーム&ウォッチ(電子ゲーム)
 ファミコンが普及する以前の1970年代後半から80年代前半には、本体に内蔵された1種類のゲームをLEDや液晶画面で遊ぶ、「電子ゲーム」と呼ばれる携帯型のオモチャが流行していた。なかでも、任天堂が1980年から発売を開始した「ゲーム&ウォッチ」は、ポケットサイズの本体で熱中度の高いゲームを楽しめるため、大ヒットを記録。多数のバリエーションが発売された。

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――

当時遊んでいたゲームのなかで、心に残っているタイトルは? 

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ZUN

ちょっと後になりますけど、アーケードの『ソンソン』【※1】が好きでした。『ソンソン』は曲が良かったので。

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 ゲーム&ウォッチだと、滝に蛇が落ちてくるのを蹴ったりして、下で水浴びしている人を守るゲームがあったんです(※編注:エポック社の『キングコング ジャングル編』【※2】だと思われる)。電池のフタがすぐなくなっちゃうので、ボタン電池を指で押さえながら遊んでいました。指が離れると消えちゃうんですよ(笑)。

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※1

『ソンソン』
 1984年にカプコンがアーケードで発表したシューティングゲーム。『西遊記』の世界がモチーフとなっており、孫悟空の孫のソンソン(プレイヤー1)とブタのトントン(プレイヤー2)が、次々と出現する敵を倒しながらテンジクを目指して進んでいく。

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※2

『キングコング ジャングル編』
1982年にエポック社から発売されたLCD(液晶)ゲーム。キングコングを操作して、ジャングルの滝で水浴びする女性を、ヘビやプテラノドン、流木の危険から守る。ちなみに姉妹ゲームとして『キングコング ニューヨーク編』も存在する

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――

そんなふうにゲームを遊ぶ一方で、虫のほうは山の中に入って捕まえたりしていたのですか? 

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ZUN

田舎なので山に入らなくても、すぐそのへんにいましたね(笑)。

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――

ゲームと虫以外に、お好きだったものはありますか? アニメとか、マンガとか。

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ZUN

テレビもあんまり見なかったし、マンガもそんなに読んでいたわけでもないし。家が喫茶店だったから、マンガはいっぱいあったんですけどね。スポーツもあんまり好きじゃなくて、とにかくゲームをずっと遊んでいました。

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――

中学生になると、自意識が目覚めてくると思いますが、その頃に好きになったものは? 

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ZUN

中学の頃は、むしろゲームの全盛期ですね(笑)。いちばんゲームが好きだった頃じゃないかなぁ。スーパーファミコンが出たのが中学生の時だったので、友達と一緒にすごく盛り上がっていました。

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――

放課後にみんなで集まってワイワイ遊んだりとか? 

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ZUN

そういうのもやりましたし、『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』をみんなで貸し借りして、順番にクリアしたり。この時期はRPGをすごく遊んでいた気がしますね。『ファイナルファンタジーIV』【※】とか。

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『ファイナルファンタジーIV』
1991年にスクウェア(当時)から発売されたスーパーファミコン用ソフト。スーファミで発売された初の『FF』シリーズである。戦闘がリアルタイムで進行する“アクティブタイムバトルシステム”が、本作で初めて採用された。

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――

シューティングはどうでした? 

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ZUN

その頃は『グラディウスIII』【※】をやっていました。アーケードだと難しすぎたんだけど、スーファミの『グラディウスIII』は難易度がちょうどよくて。

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ZUN

シューティングは小学生の頃からすごく好きでした。アーケードでもファミコンでも、とにかく難しかったですけど。たまに大学生ぐらいの人が、ゲーセンで自分よりも先に進んでいると、「あっ、先まで行ってる!」と、憧れの目で見ていました。

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『グラディウスIII』
1989年にコナミ(当時)がアーケードで発表したシューティングゲームで、正式タイトルは『グラディウスIII 伝説から神話へ』。『グラディウス』シリーズのなかでも特に難易度の高い作品として知られる。1990年にはスーパーファミコンで、内容をアレンジした移植版が発売されている。

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民俗学への興味

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――

のちの「東方」につながるような趣味、たとえば民話や伝説といった民俗学的なものに興味を持ったのは、いつ頃なんですか?

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ZUN

育ったのが田舎でしたから、民話みたいなものに触れる機会が多かったんです。うさんくさい伝承があったりとか。子どもの頃からそういうものは好きでしたね。

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――

昆虫採集の延長みたいな感じで、子どもの頃からそういう民話を、心の中に収集していたわけですか?

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ZUN

道ばたの道祖神【※】や、お地蔵さんが好きだったんです。観光客が来るような場所じゃないところに、けっこうマニアックなものがあるんですよ。そういうものを観察するのが好きで。「この道祖神は形がヘタだな」とか(笑)。ヘンな子どもでしたね

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道ばたの道祖神
道祖神悪霊や疫病などが集落に入り込んでこないように、村の境や道の辻にまつられてきた神様の石像や石碑。長野県は道祖神の数が特に多く、全国一とも言われる。

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受験を気にせず格闘ゲームで対戦

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――

次は高校時代ですが。

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ZUN

 高校になると、今度は対戦格闘ゲームの全盛期がやってきてね(笑)。

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――

本当にゲーム漬けの少年時代じゃないですか! 

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ZUN

高校3年間は格ゲーをすごく遊びましたね。アーケードでもやったし、スーファミの『ストリートファイターII』も出来が良かったので、家でガンガンやってました。なにしろNEO・GEO【※】も買いましたから。

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NEO・GEO
1990年にSNKが発表したアーケード用のゲームシステム。『餓狼伝説』『ザ・キング・オブ・ファイターズ』といった対戦格闘ゲームのヒット作が多数リリースされた。また、アーケードそのままの内容を遊べる家庭用ゲーム機も1991年より発売されて、ROMカセットは約3万円と高額だったが、格闘ゲームファンに高い人気を集めた。

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――

NEO・GEOの本体を買うというのは、さすがにガチの格ゲーファンですね。でも高校だと、さすがに進学も気になる時期ですよね? 

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ZUN

高校は一応、地元の進学校だったんですけど、受験とかは考えたことがなくて、まったく勉強していませんでした。夏休みにみんな進学先を決めて勉強しているなかで、自分だけはずっとゲーセンで遊んでいて。

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それで結局、大学は指定校推薦で入りました。東京電機大学です。

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ゲーセン通いの日々

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ZUN

高校時代はゲーセンというか、通学に使っていた駅と高校の間にあった、デパートのゲームコーナーにずっと入り浸っていました。そこの店長が、自分がゲーム好きなものだから勝手にフリープレイにして、常連のみんなと一緒に対戦していたんですよ(笑)。

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その当時の格ゲーは、必殺技が全部公開されていなくて、隠し技みたいになっていたんです。それで常連のみんなで一緒に、超必殺技を探してみたりして。

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指定校推薦の受験の前日、店長に「明日、受験に行ってくるよ」と話したら、「都会のゲーセンには店ごとに調べたコマンド表があるから、それを覚えてきて」と言われました(笑)。

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――

受験は技表を見に行くついで、みたいな感じですか(笑)。

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大学でゲーム作りを開始

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――

東京電機大学では、パソコンでゲームを制作するサークルに入られたそうですが。

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ZUN

ゲームを作るということを、そんなに意識していたわけではないんです。将来的にゲームを作れたらいいなぁ、ぐらいに思っていたところに、大学にゲームを作るサークルがあったので、じゃあ入ってみようかなと。

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ZUN

 それで入ってみたら、サークルの人たちはみんな、パソコンを持っていて。それであわてて自分も、PC-9821【※】を買ったんです。

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PC-9821「PC-9821」は、1992年から発売されたNECのパソコン「PC-9801」の上位互換シリーズ。1982年から発売されたPC-9800シリーズは、日本国内でビジネス用・ゲーム用ともに圧倒的シェアを獲得した。しかし、海外でIBM PC/AT互換機(DOS/V)の普及が進んだことから、次のWindows時代の到来を見据えて、PC-9800シリーズにもPC/ATと同様の画面モード(VGA)を搭載したモデルとして、PC-9821シリーズが発売された。

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――

では、パソコンに触れたのはその時からですか? 

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ZUN

 それが初めてですね。

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――

プログラムの仕方は、先輩から教えてもらったのですか? 

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ZUN

 いえ、ぜんぜん(笑)。まったくの独学です。

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ZUN

 とりあえず本屋さんでプログラム入門の本を買おうとしたんですけど、ゲームを作れるプログラムの解説本って、じつはそんなに種類がないんです。ゲームを作るならC言語【※1】がいいと聞いて、Cの入門書を買ってきたんですけど、そこに書いてあることがまずわからない。だってパソコンの使い方も知らないんだから(笑)。

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ZUN

 それでMS-DOS【※2】を必死にいじってみて、パソコンの基礎を全部自分で調べて。とにかくC言語をいじれるようになるまでが、いちばん時間がかかりましたね。

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※1

C言語
コンピュータを動作させるためのプログラムを記述する、「プログラミング言語」と呼ばれるものの1つ。汎用性が高く、スーパーコンピュータから家電などに組み込むマイコンチップまで、Cと同系統のプログラミング言語が幅広く利用されている。また、高速でコンパクトなプログラムが実現可能なため、ゲームの開発にも向いている。

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※2

MS-DOS
1981年にマイクロソフトが開発した、コンピュータを制御するOS(オペレーティングソフトウェア)。当初はIBM PC互換機用に開発されたが、NECのPC-9800シリーズをはじめとする多数のパソコンに供給されて、幅広く普及した。

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――

そんなふうにパソコン自体を独学で勉強されたゲームクリエイターは、ZUNさんよりも少し前の世代の方たちですよね。それこそ堀井雄二【※】さんだとか。

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堀井雄二
 1954年、兵庫県生まれ。フリーライターとして『月刊OUT』や『週刊少年ジャンプ』の記事を執筆するかたわら、独学でパソコンゲームの制作を開始。『ポートピア殺人事件』『ドラゴンクエスト』シリーズなどの名作ゲームを生み出して、日本を代表するゲームクリエイターの1人となる。

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ZUN

インターネットもまだ家庭にまでは来ていなかったですし、1人で東京に出てきたばかりだから、友達もいなかったですし。誰に聞いていいかもわからなくて。

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でも、そうやって独学で学んでいくのは楽しかったですよ。自分が何かやるとすぐに新しいことが起こるので、すごくいじり甲斐があって。「音が出た!」「絵が出たぞ!」とやっているうちに、どんどん楽しくなってくるんです。そういうところが最初から用意されていると、たぶんそこに感動はないんでしょうけど、全部独学だったから、単純に感動できるんですよ。

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――

それが半ばゲームみたいな感覚というか。

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ZUN

作ること自体がゲームみたいなものでしたね。パソコンを触り始めたのが、大学1年のゴールデンウィークで、連休の間にパソコンをガーッといじっていたら、連休の終わり頃にはけっこうゲームっぽいものができてきて。

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――

ということは、2週間ぐらいですか? 

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ZUN

そうですね。かなり雑だけど、無理やり動くようなものは、その間に作れるようになりました。

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――

では、そのゴールデンウィークの頃に作ったものが、ZUNさんがいちばん最初に作ったゲームになるわけですか?

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ZUN

習作というようなものはその時ですね。いちばん最初だったかどうかは自信がないんですけど、『ぷよぷよ』を作ったんです。

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――

もちろん個人の習作の範囲内ですから、ゲームのルール自体も実際に遊んで理解したものですよね? 

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ZUN

目コピーですね。当時はけっこう『ぷよぷよ』を遊んでいたので、挙動もできるだけ同じになるように作ってみて。もちろん見た目とかは違いますけど、同じように積めば同じように連鎖が起こって、対戦ができるぐらいまでは作りました。

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ZUN

あっ、そうだ! プログラミングじゃなくてゲームを作るということだと、中学・高校時代に『デザエモン』【※】というソフトでシューティングゲームを作っていますね。

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『デザエモン』
1991年よりアテナから発売された、シューティングゲームを自作できるコンストラクションソフトウェアのシリーズ。ZUN氏が使用していたのは、1994年に発売されたスーパーファミコン版と思われる。自機や敵機、爆発パターンなどのエディットが可能なほか、BGMを作曲してループ再生することもできる。

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――

なるほど、プログラミングを覚えたのは大学に入ってからだけど、シューティングゲームを作ること自体は、すでに経験済みだったんですね。

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ZUN

そういう意味では、ゲームを作ること自体に対する抵抗感は少なかったです。こういうふうに絵と音楽を組み合わせて構成すればいいんだな、というのは、『デザエモン』で作った時に分かっていたので。それをパソコンで形にするためのプログラムを覚えたのが、大学生の時ですね。そのプログラムが大変だったんですけど。

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Part 2

当時のゲーム制作は「謎解きゲームみたいなもの」!? ZUNさんの最初のコミケ参加&最初の「東方」(聞き手のひろゆきさんは1時間遅刻中)

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PC-98版「東方」の誕生

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――

 プログラムは独学というお話ですが、どうやって習得したのですか。気合いですか?

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ZUN

  当時はゲームのためのプログラミングの本なんてほとんどなかったので、ゲームを作るのに役立つ情報がなかなか出てこないんですよ。こっちは絵を出すにはどうすればいいのかを知りたいのに! みたいな。

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  それでもゲームに役立つ話がちょこちょこと載っていて、そこにはソースコードも出ているので、それをちょっといじると「ここがつながってこうなるんだ」と。あとはハードの仕様書を見て、「ここのメモリをいじってるからこうなるんだ」とか、だんだんと分かってきて。

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  だから、今で言う謎解きゲームみたいなものですよ(笑)。答えはこの本のどこかにあるから、ひとつひとつ調べてつなげていけばいいっていう。

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――

 かなり地道な作業ですね。

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ZUN

  でも、それ自体が本当におもしろくてしょうがなかったですね。今みたいにハードが複雑になると、なかなかそういうことをやるわけにもいかないでしょうけど。それで最終的には、マシン語【※】にたどり着きました。C言語には任せていられない、みたいな感じになって、いろいろとアセンブラで書いてましたね。

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 マシン語
コンピュータの動作を記述するプログラミング言語の一種で「機械語」とも呼ばれる。他のプログラミング言語のように人間に理解しやすいような形で記述するのではなく、CPUが理解可能な命令をアセンブリ言語(アセンブラ)で直接記述する。コンピュータに関する深い知識が必要だが、高速なプログラムを実現できるため、性能が低い時代のパソコンではよく使用されていた。

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――

 ゲームを自作するようになったZUNさんが、1996年11月に完成させたのが、PC-98版「東方」の第1作となる『東方靈異伝 ~ Highly Responsive to Prayers』【※】です。

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 『東方靈異伝 ~ Highly Responsive to Prayers』
1996年11月に発表されたPC-9801用ソフトで、「東方Project」の第1弾。本作はシューティングゲームではなく、巫女の博麗靈夢(Windows版「東方」の霊夢とは名前の表記が異なる)を操作して、陰陽玉を打ち返してパネルをめくり、敵を倒すという、ブロックくずしを発展させたステージクリア型のアクションゲームとなっている。

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ZUN

  大学2年の時の文化祭で、サークルの発表会に『靈異伝』を出展しました。

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――

 ちなみに1年生の時は、何を出展されたのですか?

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ZUN

  1年の文化祭は『靈異伝』のプロトタイプですね。まだキャラクターとかはなくて、ゲームシステムだけの状態で。2年の文化祭の時に、去年作ったゲームにキャラクターや音楽を加えて、ちゃんとした形にしたものが『靈異伝』です。

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――

 『靈異伝』はけっこう変わったゲームですよね。ブロックくずしでもあり、シューティングでもあり、ピンボールみたいでもあるという。

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ZUN

  それは結局、シューティングを作りたいんだけど、まだそこまでプログラム技術が追いついていなかったからですね。絵があって、キャラクターを動かせて、音楽が流れてというのを一通り全部試してみたら、ああなった。だから本当に習作なんです。

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  とにかく一回、完成するまで作ってみたら、これじゃいけないなというところがいっぱい見つかったので。そこで次はようやく、シューティングゲームを作るんです。

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 『東方靈異伝』の謎

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――

 『東方靈異伝』で靈夢が壊しているブロックは、いったい何なんですか?

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ZUN

  あれはブロックを壊しているんじゃなくて、パネルがペロッとめくれているんですよ。絵合わせゲームみたいなものですね。

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 あれ自体に特に意味はないんだけど、ゲームにはよくあるじゃないですか、意味のないオブジェクトって(笑)。

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 梵字みたいな文字だとか、そういった和風の意匠は、この時点からすでにお好きだったんですか?

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ZUN

 そうですね。巫女さんを出そうというのも、最初から考えていたので。

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――

 以前のインタビューで「当時、巫女さんが主人公のゲームはほとんどなかった」と言われていましたが、タイトーの『奇々怪界』【※】がありますよね?

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 『奇々怪界』
1986年にタイトーがアーケードで発表した、上方見下ろし視点のアクションシューティングゲーム。巫女の小夜ちゃんを操作して、妖怪たちにさらわれた七福神を助けるために戦う。小夜ちゃんは8方向に発射できるお札と、近接時のお祓いが武器となっている。

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ZUN

  そう、『奇々怪界』ぐらいしかないんですよね。ここから後になると、どのゲームにも必ず1人は巫女さんがいる、みたいな感じになりましたけど。

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  『奇々怪界』はもちろん好きですよ。大学の時にアーケードの基盤を持っていましたから。あのゲームは縦画面だから、家ではなかなか遊びづらいんですけど(笑)。

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 コミックマーケットに初参加

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 2作目となる『東方封魔録 ~ the Story of Eastern Wonderland』【※】で、今の「東方」にまでつながる、縦スクロールのシューティングゲームが登場します。

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 『東方封魔録 ~ the Story of Eastern Wonderland』
1997年8月のコミックマーケットで発表されたPC-9801用ソフト。「東方Project」の第2弾で、原作ゲームの基本スタイルである“縦スクロール型弾幕シューティング”の最初の作品である。自機は靈夢のみで、4面(ゲームは全5面)のボスとして魔理沙が初登場している。

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ZUN

 『靈異伝』を作った時はまだ、スクロールができなかったんですよ。PC-98で画面をスクロールさせるのがまた、すごく大変で。ほかのいろんなゲームを見て、こうやってスクロールさせているのかなと推測したりして、方法を吸収しました。技術は盗んで覚えるというか。

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――

 そうした苦労の末に、『封魔録』が完成した時のお気持ちは?

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ZUN

  完成させるだけで必死だったので、作り終えた後は、物足りない気持ちがありましたね。もっとできるよな、と。

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――

 『封魔録』が発表されたのは、1997年8月のコミックマーケットですね。コミケに参加しようと思ったきっかけは?

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ZUN

  『靈異伝』を作った時に、サークルの先輩から「冬コミに申し込んでおけばよかったね」と言われて、初めてコミケの存在を知ったんです。

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  それで翌年の夏コミに申し込んで、そこに『靈異伝』を出そうという話になったんですけど、夏まではまだ時間があったので、新しいゲームを作ったのが『封魔録』です。だから夏コミには、『靈異伝』と『封魔録』の2本を同時に出したんです。

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――

 ちなみに、参加する前年の冬コミには行かれたのですか?

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ZUN

  行ってないですね。だから初めて行ったコミケが、サークル初参加です。

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――

 コミケに初めて行かれてみて、いかがでしたか?

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ZUN

  コミケカタログのまんがレポートとかを読んで、「コミケってこんな感じのお祭りなんだ」と思っていたんですけど、同人ゲームのエリアは、そんなに大勢の人がいるわけでもなくて(笑)。でも、僕のゲームもすぐ売れたんですよ。意外と売れるじゃん、楽しいなと、そんな感じでしたね。

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――

 自分が作ったものを目の前で買っていってくれる楽しさを、そこで味わったんですね。

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ZUN

  それで次の冬コミも出ようと、新しいゲームを作って。そうしたら「夏コミで買いましたけど、おもしろかったです」という人が来てくれて、また売れて。それで次も、その次もと、1作ずつ出していったんです。

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――

 2作目から5作目までは、ものすごいスピードで作られていますよね。『封魔録』から次の『東方夢時空 ~ Phantasmagoria of Dim.Dream』【※1】までは、4カ月しか空いていないですし、その後も夏に『東方幻想郷 ~ Lotus Land Story』【※2】を発表。冬のコミケでも発表して年2作のペースです。

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※1

 『東方夢時空 ~ Phantasmagoria of Dim.Dream』
1997年12月のコミックマーケットで発表されたPC-9801用ソフト。「東方Project」の第3弾で、左右に分割されたステージで自機と敵キャラがそれぞれ弾幕シューティングをプレイする対戦型のゲームとなっている。靈夢、魔理沙など7+2キャラを自機として選択でき、2人対戦プレイも可能。

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※2

 東方幻想郷 ~ Lotus Land Story』
1998年8月のコミックマーケットで発表されたPC-9801用ソフト。「東方Project」の第4弾で、第2弾の『東方封魔録』同様、東方縦スクロール型の弾幕シューティング。自機選択が可能となり霊夢と魔理沙の2人から選べるようになった。

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ZUN

  その間、学校にほとんど行ってなかったので(笑)。大学は最終的に、ギリギリの単位で卒業しましたから。

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少女趣味の原点

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――

 PC-98版の「東方」には、ZUNさんらしいキャラのモチーフが、この時点ですでにかなり出ていますが、それはどんなところから来ているんですか? 少女漫画的なモチーフが、かなり多いと思うのですが。

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ZUN

  少女漫画って、子どもの頃は読んだことがないんですよ。その後になってからは読んでいますけど。

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  キャラクターや世界のモチーフを、ほかの作品から引っ張ってきたりはしていないです。単純に、自分がこういうものが好き、というものを入れていった結果だと思います。

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――

 アリスやロリータファッションといった、少女趣味的なものの原点はどこにあるんだろう? と、ここまでのZUNさんの半生を聞いていて、疑問に思ったのですが。

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ZUN

  「なぜこういうものが好きなんですか?」と聞かれると、たしかに難しいですよね……。

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  少女趣味的なものは、子どもの頃には一切なかったです。だから自分でもよく分からないんですけど、たぶん、いろんなゲームにこういった要素が少しずつ出てくるじゃないですか。それを吸収していったんじゃないかと思います。

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  この作品だ、というズバリのものはないんですけど、これまでに楽しんできたゲームなり、マンガなりに少しずつそういう要素があって、それが徐々に、自分のなかに溜まっていった感じでしょうか。

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Part 3

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_3

ZUNさんの就活!(倍率2000倍でタイトーに内定)そして学生最後のコミケ「自分でゲームを作るのはこれで最後だと思っていました」(ひろゆきさんからようやく連絡が!)

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大学生活の総決算となった『東方怪綺談』

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――

大学の後半には単位の問題だけではなくて、就職活動もあったと思うのですが? 

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ZUN

受験勉強もやらなかったし、大学の授業も適当に過ごして、自分のやりたいことだけをやってきましたけど、さすがに就職は自己責任なので、全部自分でやらなきゃいけなくて。でもエントリーシートは結局、3社しか出していないんですよ。

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――

それはどちらの企業ですか?

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ZUN

タイトー【※1】とアトラス【※2】とCRI【※3】。それでタイトーだけ受かったんです。超就職氷河期の時代だったので、受かっただけ良かったですよ。タイトーだって、1万人応募して受かったのは5人ですから。

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※1

タイトー
1953年に設立された老舗ゲーム会社で、1978年に発表したアーケードゲーム『スペースインベーダー』は社会現象を巻き起こす大ヒットとなった。その後も『ダライアス』『電車でGO!』など、数々の人気作を生み出している。現在はスクウェア・エニックスの傘下となっている。

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※2

アトラス
1986年に設立されたゲーム会社だが、吸収合併された企業の破産などを経て、現在はセガゲームスの完全子会社として再建されている。『真・女神転生』シリーズと、そこから派生した『ペルソナ』シリーズがよく知られているが、ほかにも『豪傑寺一族』『世界樹の迷宮』など、人気作は数多い。

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※3

CRI 正式名称は「株式会社CSK総合研究所」で、セガの会長でもあった大川功氏が率いたCSKグループの1社として1983年に創設。マルチメディアの研究開発や、各種ゲーム機に対応したミドルウェアの提供を行っていた。また、『エアロダンシング』などのゲームも制作していた。同社のミドルウェア業務は現在、CSK・セガグループから独立した株式会社CRI・ミドルウェアに継承されている。

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――

えぇーっ! 狭き門じゃないですか。

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ZUN

まぁでも、僕の場合は大学4年間、ずっとゲームを作っていたので、作品を提出すればなんとかなるかなとは思っていました。

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1998年12月に発表された、PC-98版「東方」の最終作である『東方怪綺談 ~ Mystic Square』【※】は、学生生活の総決算にあたる作品だと思いますが?

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『東方怪綺談 ~ Mystic Square』
1998年12月のコミックマーケットで発表された、PC-9801用の縦スクロール型弾幕シューティングゲーム。「東方Project」の第5弾で、PC-98版「東方」(東方旧作)の最終作である。自機として靈夢と魔理沙に加え、ここまでの過去作でラスボスだった魅魔と幽香も選択可能なほか、過去4作のBGMもほぼ全曲を聞くことができるなど、PC-98版「東方」の集大成と言える内容だ。

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ZUN

自分でゲームを作るのはこれで最後だと思っていましたね。学生気分は卒業して、ここから先は会社でちゃんとゲームを作ろうと。

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学生時代最後の『怪綺談』を出した時には、同人サークルとしてはどれぐらいの人気だったのですか?

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ZUN

そこそこ高かったですよ。雑誌の『ゲームラボ』【※】にソフトの紹介記事が載って、それを見て来てくれた人もいたので。それに4回連続でコミケに出ているので、常連の人もいましたし。

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『ゲームラボ』
三才ブックスが1985年より発行していた雑誌『バックアップ活用テクニック』が、1994年にリニューアルされて『ゲームラボ』として新創刊された。2017年に休刊したが、2018年に復活している。コンピュータゲームの改造といったアングラ寄りの内容のほか、同人ゲームの紹介記事も掲載されていた。

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――

サークルの配置は、どのあたりですか?

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ZUN

『怪綺談』の時は、誕生日席【※】でした。

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PC-98の頃はおもしろかったですね。特にプログラムを作るのが楽しかったです。就職でプログラマーを選んだのも、プログラムがいちばん楽しかったからなので。プログラミングは、パソコン全体を支配しているような感じを味わえるのが楽しいですよね。

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……それはともかく、ひろゆきさんがまだ来ていないのは、大丈夫なんですか?

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誕生日席
コミックマーケットや例大祭などの同人即売会では参加サークルの座るテーブルが、「島」と呼ばれる長方形の形に並べられている。人気があり来客が集まりそうなサークルは、整理の都合上、広い通路に面した長方形の角の席に配置されることが多い。この配置が「誕生日席」と呼ばれている。ちなみに、さらに大勢の来客が予想されるサークルは、「島」の外側となる建物の壁際に配置される。

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――

ひろゆきさんからは「うへへ、向かってます」というメッセージがSNSに届いています。「うへへ」じゃねぇよ!(笑)

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音楽との出会い

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――

ここまでに、音楽の話がまったく出てこないのですが、音楽はいつ頃から興味を持たれたのですか?

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ZUN

音楽は子どもの頃から好きでした。家にオルガンがあったので、それをよく弾いていましたね。あとは学校の音楽室にある楽器も、勝手にいじっては先生に怒られていました(笑)。

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――

それは即興で弾いていたのですか? それとも楽譜を見て?

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ZUN

楽譜も弾いていましたよ。親に「楽譜を買って」とねだって買ってきてもらったら、それが宗次郎【※】の『大黄河』で。

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宗次郎
1954年、群馬県生まれ。自身が手作りしたオカリナを使用して、世界の名曲やオリジナル曲の演奏を行っている。1986年に放送されたNHK特集『大黄河』の音楽を担当して、一躍注目を集めたほか、映画音楽なども手がけている。

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――

子どもが弾くにしてはずいぶんと渋い選曲ですが、なぜ宋次郎だったんですか?

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ZUN

親が買ってきたから(笑)。しいて言えば、喜多郎【※】という音楽家を知ってます? あの人が晩年に、長野の八坂村という山奥に住むようになるんですけど、その八坂村がウチの母さんの実家なんですよ。

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喜多郎
1953年、愛知県生まれ。シンセサイザー黎明期の1970年代よりシンセサイザー奏者として活動を開始。1980年より放送されたNHK特集『シルクロード』のテーマ曲が大ヒットして、シンセサイザーサウンドが日本に普及する立役者の1人となった。2001年にはアルバム『Thinking of you』でグラミー賞を獲得している。喜多郎氏は1980年から約10年間、長野県旧八坂村(現・大町市)に居住して楽曲制作を行っていた。

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――

そうなんですか!

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ZUN

そういうのもあって、子どもの頃からよく喜多郎の曲を聴いていました。あの頃は喜多郎や宗次郎以外にも、日本の民俗的な音楽をシンセサイザーなどで現代的にアレンジしている人たちが多くて、そういう曲が大好きだったんです。姫神【※】も好きでしたし。音楽はその影響が大きいですね。

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姫神
1980年にシンセサイザー奏者の星吉昭氏ら4人でバンド「姫神せんせいしょん」を結成。『奥の細道』『姫神伝説』などのアルバムで、日本の風土や東北の文化と電子音楽が融合した、独自の世界を作り上げた。1984年にバンドを解散後、星吉昭氏のソロユニット「姫神」としての活動を開始。2004年に星吉昭が死去した後は、長男の星吉紀氏が「姫神」を継承している。

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――

それ以外のポップスやクラシックは?

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ZUN

どちらもほとんど聴いていなかったですね。大学になるとちょっとカッコつけて、ジャズが好きになるんですけど。たまにジャズバーに行ってみたりして。

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――

大学で楽器を演奏したりはしなかったんですか?

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ZUN

しなかったですね。中学の頃は吹奏楽をやっていたので、そこで演奏していましたけど。

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――

吹奏楽の楽器は、何をやられていたんですか?

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ZUN

トランペットです。

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――

“ZUNペット【※】”の元祖ですね(笑)。

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ZUNペット
「東方」ファンのあいだでは、ZUN氏の曲に使われるトランペットの独特の音色やメロディを指して、“ZUNペット”と呼ばれている。『UNDERTALE』の作者であるトビー・フォックス氏も、同作の楽曲のなかでZUNペットをリスペクトしている。

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ZUN

トランペットは吹奏楽のなかで憧れる楽器ですから。どうせやるなら花形でしょう、と。

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Part 4

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_4

サラリーマンZUNさん「最初は研修で、ゲーセンの店員」、コミケに復帰してWINで「東方」を作るまで(ひろゆきさんは2時間遅れで到着)

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他人との共同作業は“面倒くさい”

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――

ZUNさんはプログラムを独学で習得されたとのことですが、音楽の作り方も、誰にも習っていないわけですよね? 

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ZUN

 いまだに一度も教わったことがないです。

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――

さらにはイラストも、自分でお描きになっていますよね。

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ZUN

 じつは、最初は友達に描いてもらおうと思って、ちょっとお願いしていた時期もあったんです。でも、面倒くさくて(笑)。

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――

なにもかも自分でやるほうが、面倒くさくないですか? 

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ZUN

 1人でやったほうがラクですよ。独学だったのも、他人に聞くより自分でいろいろ試してみるほうがラクだったからで。そのほうが楽しいんです。

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――

ゲーム作りのすべての工程を1人で手がけていて、しかもそれを20年も続けているというのは、おそらくZUNさん以外にはいないと思うんです。堀井雄二さんや中村光一【※】さんのように、ゲームの黎明期に1人で作られていた方も、その後はチームで作るようになっていますから。普通はイラスト、プログラム、音楽のうちどれか1つぐらいは、ほかの人に依頼しますよね。そのすべてを1人で作られているのは、ZUNさんがオンリーワンだと思います。

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中村光一
1964年、香川県生まれ。株式会社スパイク・チュンソフト取締役会長。高校生の時に独学で制作したゲーム『ドアドア』が、エニックス(当時)主催のゲームコンステトに入賞し、プロのゲームクリエイターとなる。『ドラゴンクエスト』シリーズの開発を経て、『かまいたちの夜』『風来のシレン』などで新ジャンルのゲームを次々と生み出した。

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ZUN

 その3つをできる人が集まって、最低3人いれば、ゲーム作りはなんとかなりますよね。

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――

でもZUNさんは、そういうやり方を一瞬は考えたものの、面倒くさくてやらなかったわけですよね? 

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ZUN

 他人とやり取りするのが面倒くさいんですよ。「ここはもっとこうしたほうがいい」とか、お互いに言い合うのが面倒で。どうしても遠慮しちゃうし。じつはあんまり良くないんだけど、せっかく描いてもらったんだし……と、きっとそうなる自分が想像できてしまうので。

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お酒に関心を持ったきっかけ

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――

さて、ZUNさんと言えば切っても切れないものが、お酒だと思います。もちろんお酒を、飲 み 始 め た のは、20歳になってからだと思いますけど(笑)。

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ZUN

 そうですね(笑)。

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――

とはいえ、お酒に 関 心 を 持 つ ようになったのはいつ頃ですか? 

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ZUN

 昔はおおらかだったので、地域の運動会とかがあると、周りの親たちがみんなお酒を飲んでいるんですよ。あとはお祭りの時に、大人の神輿とは別に、子どもたちが担ぐ神輿もあるんですけど、それがなぜか一斗樽で(笑)。それを最後に大人が鏡割りするんです。大人が飲むために子どもがお酒を運んでるんじゃないかって(笑)。

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 そんな時代だったので、「大人になったらお酒を飲むんだ」とか考えることすらなかったぐらい、当たり前のことでしたね。

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――

大学に入って20歳を過ぎると、お酒を飲むようになったと思うのですが。

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ZUN

 でも大学の頃は、あんまり派手な飲み方はしなかったですよ。自分の同人サークルを出すようになってから、同人の集まりで飲むようになった頃に、ちょっと派手な飲み方をし始めちゃいましたけど。

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 僕のところにビールを1ケース、バーンと置かれて。そこから直接取り出しつつ、朝まで何十本飲んだか分からないっていう。

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――

でも、ZUNさんが酔ってベロベロになった、みたいな話は聞かないですよ。

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ZUN

 昔から強かったですね。酒での失敗はしていないです。

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ゲーム会社にプログラマーとして就職

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――

大学を卒業して、サラリーマンになったわけですが、タイトーではすぐにゲーム開発の現場に加わったのですか? 

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ZUN

 最初は研修で、ゲーセンの店員をやらなきゃいけなくて。それはそれで大変でしたね。今までずっと家でゲームを作っていた人間が、急にゲーセンの店員をやるんですから(笑)。

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 ただ、平日の昼間にゲーセンにいると、人間観察がおもしろいですよ。「このサラリーマンは朝からずっと『上海』【※】をやってるけど、会社に行ってるのかなぁ」とか(笑)。

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『上海』
麻雀牌が積み上げられた山の中から、2個の同じ牌を選んで消していくパズルゲーム。1986年にアメリカのアクティビジョン社から発売されて、その後、多数のゲームハードで登場している。アーケード版は1988年にサンソフトから発表されて以降、シリーズ化されている。

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――

そんな感じで研修を終えて、いよいよゲーム開発の現場に参加することになりますが、当時の開発現場は、どのような雰囲気でしたか? 

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ZUN

 最初に偉い人から「開発現場は悪い意味で凝り固まっているので、若い人がそれをぶち壊してほしい」とか言われて。でも中に入ると新人だから、これをやってくれ、あれをやってくれとやらされているうちに、だんだんと同じような考え方になっていくんですよ(笑)。

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 いつの間にか開発寄りになって「自分が作りたいゲームに“そんなの売れない”と金を出してくれない上司が悪い」とか言い出しちゃう。個人でやる時には、その考え方はプラスになっていると思うんですけど、会社としてみると、それはダメかもしれないなと。会社はそういうことを悟るような場所でしたね。

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会社での共同作業

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――

仕事でゲームを作るとなると、これまで「面倒くさい」と言っていた、複数の人間で分業することに直面せざるを得ないと思うのですが?

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ZUN

 会社にいた時は、僕はあくまでプログラマーなので、ただ上から言われたことをやっているわけです。それは自分が作ったゲームではなくて、あくまで自分がその一部に携わっているゲームでしかないので。

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 会社では、僕はプロデューサーとかそういった、自分のゲームを作る立場になったことはないですから。なので、そこでの違いは言いづらいですね。

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 ただ、与えられた範囲のなかで最大限、おもしろくなるように作ってはいたので、会社では楽しかったです。自分ですべてを作ったゲームではないんですけど、与えられた部分を自分なりにアレンジして表現している時は、そこだけの小さなゲームを作っているような感覚でしたね。

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――

与えられた範囲のなかで、自分の好きなようにやっていた感じでしょうか? 

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ZUN

 好き勝手やるのは楽しいんですけど、それはそのゲームが売れるか売れないかということと、もはや関係がないですよね。もし自分が上に立つ立場でゲームを作るとなると、ひとりひとりが好き勝手にやるのもどうかと思うし(笑)。そこは立場の違いですね。

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ひろゆき氏が2時間遅れで登場!

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――

サラリーマン時代の経験で、その後に活かされていることは? 

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ZUN

 いっぱいありますよ。そのおかげで今は最低限、社会人っぽくなれているし(笑)。

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 ずっと独学でゲームを作っていたので、会社に入って初めて、ちゃんとゲームの作り方を学ぶことができましたから。独学のわりには、けっこう同じ方法でやっていたんだなと思いつつ、「こんないい方法もあるんだ」とわかったりして。おかげでいろんなアイデアが出てきたので、良かったです。

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――

そんななか、同人活動を再開することになるわけですが……って、ひろゆきさんがやっと到着ですよ! 

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Hiroyuki

 お疲れさまです。やっちゃいましたね(笑)。

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ZUN

 もう半生のうちの半分ぐらいは終わりましたよ(笑)。

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――

とりあえず全員揃ったところで、改めて乾杯しましょうか。

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Everyone

かんぱ~い!

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仕事をしながらコミックマーケットに復帰

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――

さて、サラリーマンになって、もう出ないと思っていたコミックマーケットに、また出ることになったのはなぜですか? という質問から、続きを始めましょうか。

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Hiroyuki

 社会人になる必要なんて、なかったんじゃないですか。同人でも食えていたんですよね? 

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ZUN

 食える、食えないじゃないですね。学生は卒業したら就職するものだと思っていましたから。

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――

そんなZUNさんが、コミックマーケットにまた戻ってきたのは、なぜなんですか? 

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ZUN

 それはですね……。自分の好きなようにゲームを作れないと、ストレスが溜まってくるんですよ。

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 会社で言われたとおりにゲームを作っていても、このゲームがおもしろくないのはなんとなくわかっている。それで売れないと、とりあえず作った人のせいにされちゃう。それはけっこうツラいですよ。

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 そうやってストレスが溜まってきた時に、久しぶりにコミケを見に行ったんです。正月も全部会社に行くことが決まっていたんですけど、そんななか、2000年くらいの冬コミの会場に行って。

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 それで同人ゲームのエリアに行くと、僕がいた頃よりもぜんぜん人が多くて、同人ゲームに人が群がっているんです。だけどゲームが出ている数は減っていて、午後に行ったんですけど、その頃にはしょぼいゲームでも全部売り切れていて。

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――

2000年頃というと、ちょうど同人ゲームのプラットフォームがPC-9801から、Windowsに切り替わる時期ですよね。

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ZUN

 そうなんです。Windowsでゲームを作れる人がまだ少なかったので、今なら「フリーゲームでもこんなのやらないよ」というものでも、すごく売れていたんですよ。

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Hiroyuki

 とりあえずWindowsでゲームを出せば、みんな買ってくれるみたいな。ちょっとしたバブルだったんですね。

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ZUN

 それを見て、「自分だったらもっとおもしろいものが作れるな」と思ったのが運のツキで。仕事がすごく忙しい時期だったんだけど、またコミケに出ちゃおうかな、と思ったんです。

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Part 5

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_5

ZUNさんがコミケに落選!?そして「紅魔郷」の制作、「すべて、弾幕をおもしろくするためにあるんです」“スペルカード”の誕生・ストーリー・キャラクターについて

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音楽サークルとして申し込み

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――

前回の続きから。仕事で多忙だったが、コミックマーケットに出ようと思ったということですが。

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Hiroyuki

 その時に、会社を辞めようと思ったんですか? 

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ZUN

 会社を辞めるのは2007年ですから、まだかなり先の話ですね。

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 その後、2001年の冬コミに参加しようと申し込んだんですけど、その時はまだゲームを作る気はなくて。音楽サークルとして申し込んで、音楽CDを出そうと思っていたんです。でも、その時は落ちちゃって。

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――

音楽サークルとして申し込んだ時のサークル名は? 

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ZUN

 「上海アリス幻樂団」です。この名前は、もともとは音楽サークルとして申し込んでいたからなんですよ。

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Hiroyuki

 なるほど! 

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ZUN

 でも2001年の冬コミには落ちたんです。それで一般参加で会場に行ったら、先ほどお話ししたように、同人ゲームの需要と供給が合っていないのを見て。じゃあ自分で作ろうかなと思って、2002年の夏コミはゲームサークルで申し込んでみたら、今度は受かったんです。

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「上海アリス」の由来

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Hiroyuki

 ゲームサークルで申し込む時も、サークル名は変えなかったんですよね? 

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ZUN

 変えなかったですね。一回落ちると、次に受かりやすくなるという噂があったので(笑)。

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Hiroyuki

 そんな理由で、今までずっと使っているんですか(笑)。

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――

音楽サークルで参加しようと思った時は、どうしてその名前をつけたんですか? 

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ZUN

 「幻樂団」は、音楽サークルっぽいからですね。「上海」は、西洋風なものと東洋風なものが混ざっている場所のイメージとして選びました。

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 「アリス」は、少女的なものやゴスロリみたいなものを混ぜた感じのイメージがあるので。ちょっとダークなイメージを持たせたかったんです。その時出したCD(『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』【※】)も、ダークな感じだったので。

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 それで、その2つを組みあわせた「上海アリス」というのは、ほかで聞いたことがない響きで、おもしろいかなと思ってつけたんです。

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 『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』
上海アリス幻樂団初の音楽CD。2002年8月のコミックマーケットでCD-R版が頒布されて、2002年12月のコミックマーケットからはプレス版のCDが頒布された。この時点までの「東方」楽曲のアレンジ版や、オリジナル曲で構成されている。現在は、GooglePlayMusicとiTunesで配信されている。

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Hiroyuki

 中国の人に「なんで上海なんですか?」と聞かれたら、どう答えるんですか? 

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ZUN

 実際にけっこう聞かれるんですよ。それで今と同じように答えたら、中国の人に「あぁ、長崎みたいな感じですね」と言われました(笑)。

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Hiroyuki

 ということは、中国の人には「長崎アリス幻樂団」になるんだ(笑)。じゃあ、アリスという女の子の名前に、そんなに思い入れが強いわけではないんですね? 

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ZUN

 キャラクターとしてのアリスには、あんまり思い入れはないですね。

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――

少なくとも、ルイス・キャロル【※】のアリスではない感じですか? 

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ルイス・キャロル
19世紀イギリスの数学者・写真家・作家。友人の娘アリス・リデルをモデルとした主人公、アリスが不思議な世界と出会う『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の作者として広くしれている。ちなみに「ルイス・キャロル」はペンネームで、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。

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ZUN

 なんだろう……。言葉がまず強かったのでね。いろんな人がアリスという言葉を使っていたので、ジャンルとしてそういうものがあるのかなと。もちろん、アリスソフト【※1】とも関係ないですよ(笑)。

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 しいて言うなら、『真・女神転生』に出てくるアリス【※2】かなぁ、六本木の。

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※1

 アリスソフト
1989年に発足した18禁美少女ゲームブランド。代表作は『ランス』シリーズ、『闘神都市』シリーズなど。

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※2

『真・女神転生』に出てくるアリス
廃墟と化した六本木で、支配者である赤伯爵と黒男爵の庇護を受けている少女。じつはアリスは、赤伯爵と黒男爵に偽りの生命と記憶を与えられた死者であり、彼らは六本木を訪れる人々をゾンビ化して、アリスの友達にしていた。「死んでくれる?」は、主人公たちを永遠の友達にしようと望むアリスが投げかけるセリフである。

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――

「死んでくれる?」の、あのアリスですか? 

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ZUN

 そうそう。『真・女神転生』は高校の時に遊びました。『女神転生』シリーズが好きなので、「東方」にもメガテンっぽい要素はけっこう入っていますね。妖怪や神様も出てきますし。

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Windows版「東方」の誕生

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――

それで2002年8月の夏コミで、Windows版「東方」の最初の作品として発表されたのが、『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』【※】ですね。この時は同時に、音楽CDの『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』も発表されています。

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『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.
2002年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲーム。「東方Project」の第6弾であり、『東方妖々夢』『東方永夜抄』と続く3部作の起点となる。Windowsで初の「東方」ということで“スペルカードシステム”などの新たな試みがいくつも採り入れられている。

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Hiroyuki

 久しぶりにコミケに参加してみて、どうでした? 売れました? 

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ZUN

 全部はけましたよ。PC-98でゲームを出していた時のファンの人たちが、思っていたよりも大勢いて、また来てくれたんです。4年も経っているし、PC-98からWindowsになっていて、ぜんぜん別物だと思っていたのに。

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――

『紅魔郷』はPC-98時代から、ゲームシステムも世界設定もいろいろとアップデートされていますが? 

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ZUN

 『紅魔郷』はどちらかというと、新作のつもりで作っていて。昔こういうゲームを作っていたのは内緒にしておいて、「スゴいゲームがいきなり出てきたぞ!」みたいな感じにしたいと思っていたんです(笑)。

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 ストーリー的にもそんなにつながってないし、ここから遊んでも何の問題もないですから。そこに、作っていなかった間に溜まっていたアイデアを入れていって。

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――

会社で仕事としてゲームを作っているあいだも、「東方」のいろんなアイデアが溜まっていたのですか? 

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ZUN

 溜まっていましたし、会社でもシューティングを作りたくて、そういう企画書を出したりもしましたね。

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Hiroyuki

 じゃあ、タイトーから「東方」が出ていたかもしれない? 

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ZUN

 それは「東方」ではなくて、同じようなアイデアのゲームという意味ですね。

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Hiroyuki

 そのゲームが実現していたら、今頃はタイトーで成功していたかも? 

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ZUN

 もし出ていても、成功はしなかったかもしれないですね。「東方」の人気が出たのは、コミケだからかもしれないので。会社で作るのと個人が作るのでは、ユーザーの受ける印象も違いますから。今はインディーも大きな会社も、そんなに差がないですけど。

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Hiroyuki

 自分のゲームを作っている間、会社の仕事はちゃんとやっていたんですか? 「どうせ辞めてやらぁ!」みたいな感じで、サボっていたとか?(笑)

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ZUN

 そんなことはないですよ。会社で給料をもらっていなかったら、自分の好きなようにゲームを作れないと思っていたので。だから会社も大切にしていました。

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Hiroyuki

 社内で「コミケでゲームを作っている」と言っていたんですか? 

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ZUN

 いえ、言ってないですよ。まぁ、すぐにバレるんですけど(笑)。

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Windowsでのゲーム開発

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――

以前作っていたのはPC-9801で、同人活動を再開した時はWindowsですよね。Windowsでゲームを作るノウハウは、会社で覚えたのですか?

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ZUN

 いえ、まったく。会社ではWindowsでゲームなんて作ってはいないですから。

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 Windowsでゲームを作ることに関しては、もう一回イチからやり直しですね。まぁでも、みんな作ってるんだからできるだろう、ぐらいの感覚でした。ただ、PC-98の頃よりも覚えることが多くて、焦りましたね。

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Hiroyuki

 その頃のWindowsには、環境依存みたいなものはなかったんですか? 

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ZUN

 いっぱいありましたよ。オンボードのGPU【※】だとまず動かないというのがほとんどでしたし。こちら側としてはほとんど対応できないので、ユーザーさん自身でなんとかしてください、ということしかできなかったです。だからユーザーさんどうしで、「動かなかった時はこうすればいい」みたいなやり取りをやってくれていましたね。

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GPU
パソコンの“頭脳”として命令の実行を受け持つCPU(中央集積装置)に対して、GPU(グラフィックス プロセッシング ユニット)は、画面表示の処理に特化した演算装置である。“オンボードのGPU”、つまりパソコンのマザーボードに組み込まれているGPUでは、ゲームの画面の表示を行うには処理能力が不十分なことがあるため、PCゲーマーは高性能なGPUが搭載されたグラフィックボードを別に購入して、自分のパソコンに組み込むことも多い。

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スペルカードが生まれた理由

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――

PC-98版の「東方」と、Windows版の「東方」で、ゲームの作り方を意識的に変えたところはありますか? 

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ZUN

 Windows版からは、ストーリーやキャラクターの世界観を、もっとしっかりさせようとしていますね。

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Hiroyuki

 ストーリーがあるほうがいいと思ったのは、どういうところからなんですか? 

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ZUN

 シューティングゲームに足りないのは、敵の攻撃に個性がないところなんですよ。そこで敵の攻撃に名前をつけたんです。弾幕に名前をつけたら、弾自体にとたんに意味が出てきて、おもしろくなってきて。

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――

それが“スペルカード【※】”のシステムですね。ちょうど、格闘ゲームの必殺技みたいなニュアンスがありますよね。

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スペルカード
スペルカードとは、「東方」のキャラクターが自分の攻撃(弾幕)に名前をつけたものである。スペルカードの発動中は背景が変化し、画面にスペルカード名が表示されるなど、独自の演出を見ることができる。ちなみに敵のボスキャラだけでなく、自機キャラもスペルカードをボムとして使用できる。

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ZUN

 でも、ただ弾幕に名前がついていればいいわけじゃなくて、背景にストーリーがないと、その名前がおもしろくならないんです。つまり、ゲームの弾幕をおもしろくするために、その一要因としてストーリーが必要なんです。

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Hiroyuki

 それまでのシューティングゲームにも一応ストーリーはありますけど、みんな知らないし、別に興味もないじゃないですか。

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ZUN

 もちろん「東方」も、ストーリー単体では別におもしろくはないですよ(笑)。ただ、それがないと弾幕に興味を持ってもらえないんです。弾幕に興味を持ってもらうために、それを撃ってくるキャラクターに興味を持ってもらいたい。

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Hiroyuki

 シューティングゲームに興味を持ってもらうために、キャラクターも可愛く、わかりやすくして、弾にも名前をつけたわけですね。

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ZUN

 そうですね。そういった要素がどこに集約されるかというと、結局は“弾”なんです。弾に当たれば死ぬし、逆に避け続ければクリアできる。僕がいちばん好きなのはシューティングゲームなので、それをおもしろくするために、すべての要素を用意しているんです。

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 ただ、だからといって、別にキャラクターが女の子でなくてもいいし、今の「東方」のようなストーリーでなくてもいいわけで。なぜそうなっているかというと単純に、それらの要素は全部、自分の好きなものだからです。「自分の好きなものだけで構成すれば、それでいいじゃん」と。でもそれは最終的にはすべて、弾幕をおもしろくするためにあるんです。

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Part 6

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_6

竹本泉、菊地秀行、諸星大二郎、藤原カムイ、京極夏彦、森博嗣、アガサ・クリスティ…ZUNさんが愛した作家たち

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「東方」を作る際に影響を受けた(?)作品

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「東方」のストーリーを作る際に、「これが好きだ」と思っていたものはなんですか? たとえば「東方」のキャラには、竹本泉【※】さんっぽい雰囲気があると思うのですが? 

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竹本泉
『あおいちゃんパニック!』『ねこめ~わく』などの作品で知られる少女漫画家。ほんわかとした絵柄と物語が特徴的だが、そのなかにSFやファンタジーのエッセンスが織り込まれていることも多い。『ゆみみみっくす』『だいな♥あいらん』といったゲーム作品に参加している。

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ZUN

 竹本さんのコミックは、たしかに読んでいました。「東方」でもあのぐらいユルい感じは出したかったですし。

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 『紅魔郷』を作る時に、影響を受けたというほどではないんですけど、こういう感じにしたかったという意味では、菊地秀行【※】ですね。『吸血鬼ハンターD』シリーズの。内容はぜんぜん違うんですけど、吸血鬼を出してみたりして。

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菊地秀行
千葉県生まれ。『魔界都市〈新宿〉』『吸血鬼ハンター“D”』など、数々の人気シリーズで知られる小説家。エロスとバイオレンスに彩られたその作品世界は、伝奇アクション小説のジャンルを開拓した。国内外のホラー映画や幻想小説にも造詣が深い。

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――

子どもの頃はあまりマンガを読まなかったとのお話ですが、大人になってからは読まれているんですよね? 

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ZUN

 そうですね。諸星大二郎は大学の頃から好きでした。藤原カムイも好きですね。

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 活字の本も含めて、子どもの頃はあんまり本を読まなかったのに、大人になってから、急に本が好きになって。

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※1

諸星大二郎
1949年、長野県生まれの漫画家。『妖怪ハンター』『暗黒神話』といった日本古代史を題材とした作品で、既成概念を覆す物語を重厚なタッチで描き出し、読者を驚かせた。ほかにも中国史やインド史を題材とした『孔子暗黒伝』『西遊妖猿伝』から、ホラーコメディ『栞と紙魚子』シリーズまで、その作風は幅広い。

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※2

藤原カムイ
1959年、東京都生まれの漫画家。『チョコレート パニック』『雷火』など、繊細な絵柄と緻密にデザインされた画面構成で、コミック業界にインパクトを与えた。『帝都物語』『精霊の守り人』など、人気小説の漫画化も手がけている。代表作となった『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』シリーズをはじめ、ゲーム関連の仕事も多い。

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Hiroyuki

 映画やテレビからは、影響を受けなかったんですか? 

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ZUN

 ほとんど見てないですから。映画も見てない、アニメも見てない、テレビドラマなんて今まで1回も見てないんじゃないかな。おもしろいものなんて世の中にはいっぱい転がっているのに、映画やドラマをわざわざ自分が追いかける必要はないので。

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フィクションはあまり好きじゃない

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――

ZUNさんにとって、ストーリーはあくまでゲームを盛り上げるための一要素なんですね。

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ZUN

 たとえば映画やドラマを見ても、ストーリーを追いかけるのが苦痛なんです。出てくる人間たちに共感を受けないというか、別に共感する必要もないし。

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Hiroyuki

 本の場合は大丈夫なんですか? 

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ZUN

 本も、以前はフィクションも読んでいたんですけど、最近は読まなくなりました。

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Hiroyuki

 じゃあ、もともとフィクション自体がそんなに好きじゃないんですか? 

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ZUN

 そうですね。

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――

中学生の頃にRPGをけっこう遊んでいたというお話がありましたが、RPGのストーリーについてはどう思われますか? 

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ZUN

 RPGも、ストーリーではあまり楽しんでいないですね。戦闘だとか、どこでアイテムが手に入るかといった部分で楽しんでいて。

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Hiroyuki

 ゲームをやっていて「ストーリーなんてなくてもいい」と思うタイプですか? 

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ZUN

 それは違うんですよ。やっぱりストーリーがあることで、アイテムや戦闘が活きてくるんです。ストーリーがないと、急に強いボスが出てきても、別に倒したくないじゃないですか。そう考えると、ボス戦を盛り上げるためにストーリーがあるわけで。そういう意味で言えば、ストーリーはオマケなんです。

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Hiroyuki

 ストーリーは単なる味付けであると? 

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ZUN

 味付けなのかどうかはともかく、ストーリー自体を楽しむようなゲームは、僕は楽しめていないかなと思います。

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Hiroyuki

 ZUNさん自身がストーリーに思い入れがないぶん、「東方」の二次創作でストーリーを勝手に作られても気にならない、ということですか? 

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ZUN

 うーん……もしかしたらそうかもしれない。僕自身がキャラクターにあまりストーリーを持たせていないから、二次創作に対してなんとも思わないのかもしれないですね。

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ミステリー小説は何を楽しんでいたのか

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ZUN

 フィクションでは、推理小説をよく読んでいましたね。でも推理小説は、ストーリーを楽しむために読んでいるかというと、そうでもないので。不思議なことが起きていて、でも答えはきっとあるはずだ、という。

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――

それも結局、ゲームですよね。

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ZUN

 だから「こいつは殺されてしかるべき人間だ」みたいな読み方はしていないですね。

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――

ミステリーといえば、「東方」にアガサ・クリスティ【※】をモチーフにしたものがよく出てきますね。それ以外ではどんなものを? 

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>アガサ・クリスティ
1920年のデビューから1976年に死去するまで多数の推理小説を執筆し、「ミステリーの女王」の異名を持つイギリスの小説家。エルキュール・ポアロやミス・マープルといった名探偵の生みの親でもある。『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』など、映画化やドラマ化された作品も多い。

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ZUN

 森博嗣【※1】とか、京極夏彦【※2】とか。ミステリーはたくさん読んでいましたね。最近はあまり読んでいないですけど。

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あとは、SFも好きでした。SFも結局ストーリーじゃなくて、こんな世界にこういうシステムがあったらこうなる、みたいなところがおもしろくて読んでいたので。

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※1

森博嗣
1957年、愛知県生まれ。工学博士として建築学を研究するかたわら、1996年に『すべてがFになる』で作家デビュー。「Vシリーズ」「Gシリーズ」といったミステリー作品だけでなく、『スカイ・クロラ』シリーズのようにSF色の強い作品や、エッセイなども執筆している。

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※2

京極夏彦
1963年、北海道生まれ。『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』などの「百鬼夜行(京極堂)」シリーズをはじめ、作品では妖怪や怪談が重要なモチーフとなっている。また、妖怪研究家としての活動やメディア出演も行っている。

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Hiroyuki

 それも一種のシミュレーションですよね。

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Windowsのシリーズ展開

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――

『紅魔郷』の次が『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』【※1】、その次が『東方永夜抄 ~ Imperishable Night.』【※2】と、途中で黄昏フロンティア【※3】と共同制作された外伝的な作品も挟みつつ、2004年まで1年間隔でリリースされています。作品としては、『永夜抄』までの3作で一区切り、というのを意識されているのですか? 

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※1

『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』
2003年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第7弾。春のやってこない幻想郷を巡る物語が描かれる。自機として霊夢、魔理沙、咲夜を選択可能。

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※2

『東方永夜抄 ~ Imperishable Night.』
2004年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第8弾。本作では霊夢と紫、魔理沙とアリスのように自機が2人1組となっており、移動速度を切り替えるとキャラが変化する(条件を満たすと、単独のキャラを自機として選択可能)。

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※3

黄昏フロンティア
格闘アクションゲームを得意とする同人ゲームサークル。『東方萃夢想』から、「東方」のアクションゲームをZUN氏と共同で制作している。『東方深秘録』は、PlayStation 4でもリリースされている。「東方」関連作以外では、『ひぐらしのなく頃に』を元にした3D対戦アクションゲーム『ひぐらしデイブレイク』などがある。

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ZUN

 僕自身がそう言っていたんです。「とりあえず3つ作る」と。

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 『紅魔郷』にはやりたいことがほとんど入らなくて。言ってしまえば、Windowsでゲームを作るための習作だったんです。だから次を作りたいと。

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 ストーリー的にはもともと3つぐらい考えていたので、次はもっと大々的に作ろうと思って、2002年の冬コミには『妖々夢』の体験版を出したんです。そうしたら、かなり大勢の人が来てくれて。サークルが島の中【※】に配置されていたので、列が作れないから途中で島の外に出されたんですけど。

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 そんな感じで、2002年の夏コミから冬コミまでの4カ月のあいだに、急にサークルとしての規模が変わっちゃって。

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島の中
コミックマーケットや例大祭などの同人即売会では参加サークルの座るテーブルが、「島」と呼ばれる長方形の形に並べられている。大多数のサークルは「島」が縦に並んでいる通路側に面した席に配置される。「島の中」とはこのことを指している。

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Hiroyuki

 それは何かきっかけがあったんですか? 

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ZUN

 きっかけがあるとすれば、渡辺製作所【※】の代表だった、なりたのぶやさんのブログでしょうか。なりたさんがご自身のブログで、いろんな同人ゲームを紹介していたんですね。そこで『紅魔郷』の体験版の時点から、ウチのゲームをけっこう取り上げてくれていたんです。

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渡辺製作所
TYPEーMOONと共同制作した『MELTY BLOOD』など、ハイクオリティな二次創作の格闘アクションゲームで知られた同人ゲームサークル。渡辺製作所の解散後、メンバーは同人サークル「フランスパン」として活動を行いつつ、『UNDER NIGHT IN-BIRTH』『電撃文庫 FIGHTING CLIMAX』などの商業作品を制作している。

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――

それで『妖々夢』の完成版が出た、2003年の夏コミでの配置は? 

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ZUN

そこからはずっとシャッター前【※】です。だから『紅魔郷』と『妖々夢』では、こういう言い方はアレですけど、売れていく感じがぜんぜん別物でしたね。

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シャッター前
コミックマーケットでは、大勢の来客が予想されるサークルは「島」の外側となる建物の壁際に配置される。こうしたサークルは「壁サークル」などと呼ばれている。壁サークルの中でも特に多くの来客が予想される場合は、サークルへの行列を建物の外で整理するため、出入口のシャッターに面した位置に配置される。

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――

それだけ人が集まって、自分の作ったゲームをプレイしてもらえるというのは? 

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ZUN

それはもちろん嬉しかったですよ。その時は今と違って二次創作もないので、ゲームを遊ぶ目的の人がすごく多くて。

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でも僕のサークルに関して言えば、その頃と今の売り上げは、ほぼ一緒ですよ。

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Hiroyuki

そうなんですか!? 

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ZUN

「東方」というジャンル全体では、すごく大きくなっていますけど、シューティングゲームとして僕のゲームが売れている数は、その頃から変わらないんです。

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Hiroyuki

 へぇ~。

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ZUN

 ただ、来てくれるユーザーさんの層は変わっているんですよ。だから、人類全体のなかでシューティングゲームを遊ぶ人数の割合は、常にこれぐらいなんだな、というのがわかりました(笑)。

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黄昏フロンティアとの共同制作

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――

2004年12月に発表された『東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.』【※】から、黄昏フロンティアと共同制作するゲームを、ZUNさん個人が制作するシューティングと並行して作られるようになります。

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『東方萃夢想 ~ Immaterial and Missing Power.』
2004年12月のコミックマーケットで発表された、対戦格闘アクションゲーム。飛び道具の弾幕をかいくぐるアクションや、スペルカードなど「東方」らしいシステムが盛り込まれている。発表は『永夜抄』より後だが、『妖々夢』『永夜抄』の間の出来事という設定のため、「東方Project」としてのナンバリングは第7.5弾となっている。

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ZUN

 『妖々夢』を出した頃に、黄昏さんから「作りませんか」と話が来ました。最初は「東方」の二次創作として話が来たんですけど、僕のところにわざわざ話を持ってきたということは、もっと関わりたいんだろうなと思って。

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 僕は学生時代からシューティングと格闘ゲームが好きでしたから。シューティングと違って、格ゲーは1人では作れないんだけど、作ってくれる人がいるのならいいなと思って。そういう感じで一緒に作り始めたんです。

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――

先ほど「共同作業は面倒くさい」というお話がありましたが? 

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ZUN

 黄昏さんとは、共同作業で作っている感じではないですね。ゲームの主体は黄昏さんが作って、そのなかの世界観やキャラクターを僕が引き受けるという形です。だから僕は、仕事を受けている側なんです。

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 僕のほうから「このキャラクターはこういうふうに動かせ」と言うわけではないので。ゲームとして重要な部分を僕が作っているように見えるかもしれないですけど、僕は依頼されて作っている立場です。

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Hiroyuki

 そういう作り方でZUNさんとしては、格ゲーを作ってみたい欲は満たされたんですか? 

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ZUN

 格ゲーでキャラクターを動かすということができているので、幸せですよ。キャラクターが動くことによって新たな魅力が出てくると、それを自分自身のゲームや作品のほうにも活かせるので、すごくいい方向に動いていると思います。

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Hiroyuki

 格ゲーとかシューティングとか、ジャンルとしてどんどん縮小しているものばっかり好きなのは、なぜなんですか? 

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――

格ゲーは最近また盛り上がっていると思いますけど。

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ZUN

 それは僕がそういう人間だからです(笑)。お酒のほうもね、僕が好きな居酒屋はどんどん潰れていくんですよ(笑)。

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Hiroyuki

 寂れていくジャンルが好きなわけではなくて、自分の好きなジャンルがたまたま寂れていく感じですか? 

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ZUN

 寂れてきてはいるんだけど、好きな人たちが必ず残っていますから。ほかのジャンルのゲームと同じ作り方をしてしまうと、100万人に売れないと採算が取れないのかもしれないですけど、シューティングみたいな作り方をすれば、1万人に売れれば採算が取れますから。

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 むしろ、インターネットが広まって、最近は世界中が同時に遊んでくれるようになってきたので、ユーザーの規模は広がる一方ですよ。どんなにマニアックなジャンルでも、必ず人が集まるので。

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Part 7

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_7

オンリーイベント「博麗神社例大祭」はZUNさんが命名!神主と名乗り始めた理由は?「東方は宗教」なんですか?

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“博麗神社例大祭”はZUN氏が自ら命名

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――

2003年8月に『妖々夢』で「東方」がブレイクしてから1年弱、『永夜抄』が出る少し前の2004年4月に、第1回目の“博麗神社例大祭【※】”が開催されています。

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博麗神社例大祭
2004年から毎年春頃に開催されている、東方Projectオンリーの同人誌即売会。「例大祭」と略して呼ばれることも多い。2018年は参加者数がのべ52000人となるなど、1ジャンルに限定したオンリーイベントとしては国内最大級の規模となっている。また現在は「博麗神社秋季例大祭」や「博麗神社例大祭in台湾」も開催されている。

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Hiroyuki

 例大祭って、そんな時期からやってるんですね。

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――

これは当時の主催者から「オンリーイベント【※】をやらせてください」というのが、ZUNさんのところに来たんですか? 

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オンリーイベント
同人誌即売会のうち、1つのジャンルや作品、キャラクターなどに限定した内容の同人誌のみに限定して開催されるものを指す。総合的な即売会よりも規模は小さくなるが、規模は好みの共通するファンが集まりやすいため、より濃密なイベントとなる。

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ZUN

 来ましたよ。でも僕はそもそも、オンリーイベントというものがあることを知らなかったんです。コミケもよく知らないのに、コミケ以外のことなんてわかるわけがないですから(笑)。

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Hiroyuki

 コミケ以外にそういうイベントがあることも知らなかった? 

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ZUN

 知らなかったですね。同人というのは自分が作った物を売ることのできる場なのかな、ぐらいにしか考えていなかったので。

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 だから、オンリーイベントの話が来ても「やればいいんじゃないかな」ぐらいの感じでした。

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 ただ、本当に人が集まるのかなという不安があったのと、あとは当時の主催者の人が考えたイベントの名前が酷かったので(笑)。“博麗神社例大祭”という名前は、僕が自分でつけたんですよ。

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Hiroyuki

 へぇ~。先方が持ってきたのは、どんなタイトルだったんですか? 

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ZUN

 “夢幻創世記”(笑)。

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 もう何のゲームのイベントなのかもわからないし、それ自体がゲームの名前みたいだし(笑)。さすがにこれはないかなと思って、「名前は僕が考えます」と言ったんです。二次創作のイベントの名前を、なんで僕が考えるんだろうと思いながら(笑)。

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Hiroyuki

 二次創作と言いつつ、名前をZUNさんが考えたのなら、それはもはやZUNさんのイベントなのでは? 

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ZUN

 僕自身は例大祭の運営に関わっていないし、あくまで一サークルとして参加している立場です。

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 ただ実際のところ、「東方」のオンリーイベントに僕は、今でも例大祭しか出ていないですから。それはやっぱり、名付け親としての責任があると思っていて。だから例大祭は公式のものではないんだけど、でも、ほかの即売会とは別ですね。

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Hiroyuki

 自分が作ったものを使って、他人が二次創作をやっているのを初めて見た時は、どんな気持ちでした? 

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ZUN

 二次創作といっても、どのレベルなのか難しいですけど。自分のキャラクターの絵を他の人が描いているのを見た時は、単純に嬉しいですよね。こんなに上手く描いてくれるんだ、と(笑)。

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“神主”を名乗る理由

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――

ZUNさんは自分の肩書きとして、“博麗神社 神主”と名乗っていますよね。自分が神主だと思うようになったのは、いつ頃なんですか? 

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Hiroyuki

 その質問だけ聞くと、頭のおかしな人に聞こえますよ(笑)。

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ZUN

 だよね(笑)。ユーザーさんが僕と直接会った時に、僕としては“ZUNさん”と呼んでもらうのがいちばんラクなんです。ところがみんな「“ZUNさん”なんてフラットに呼べない」と言い出して、“ZUN様”とか呼ぶんですよ(笑)。それはイヤだなぁと。

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 そういうのもあって、敬称をそのまま呼び名にしてしまえば呼びやすいと思って、“神主”と名乗ったんです。さすがに“神主様”とは言わないだろうから。

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Hiroyuki

 そこでなぜ“神主”を選んだんですか?

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ZUN

 自分で即売会に“博麗神社例大祭”と名づけたからですよ。

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Hiroyuki

 やっぱり例大祭からなんですね。

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――

ZUNさんはインタビューなどで「「東方」は宗教である」みたいな話をされていますが、そういう認識があるので即売会に“博麗神社例大祭”という名前をつけたのですか? 

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ZUN

 それは順番が違うかな。「「東方」は宗教である」というのは、一時期、2ちゃんねるで流行ったでしょ。なんとかは文学、とか。

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――

「『Fate』は文学、『AIR』は芸術、『CLANNAD』は人生」【※】というアレですか! 

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「『Fate』は文学、『AIR』は芸術、『CLANNAD』は人生」
『Fate』はTYPE-MOONの『Fate/stay night』、『AIR』『CLANNAD』はどちらもKeyのノベルゲーム。これらの美少女ノベルゲームをファンが絶賛する2ちゃんねるでの書き込みが、コピペされてネットミーム化したもの。このフレーズが流行したことにより、派生の表現が「東方」に限らず多数存在している。

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ZUN

 そうそう。だったら「「東方」は宗教」だなと(笑)。

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Hiroyuki

 単なるネタなんですね(笑)。

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――

それはそれで、なるほど感がありますね。

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「東方」がここまで盛り上がるのは想定していなかった

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――

第1回例大祭の後、2004年8月の夏コミで『永夜抄』が発表されます。先ほど言われたように、当初はここで一区切りだというお気持ちだったのですしょうか? 

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ZUN

 自分のやりたいことはやりきったという気持ちでした。ただ、「東方」の規模がここまで大きくなるというのは、さすがに想定していなかったんです。

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 ここまで大きくなったものをこのまま止めるというのは、もったいなくてできない。こんなにおもしろいことが起きるのなら、もっとやってみたい。『永夜抄』を出した時の気持ちは、そんな感じでしたね。

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――

ちょうどこのあたりから、雑誌の連載や書籍という形で、「東方」がゲーム以外の展開も始めるようになります。『東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red』【※】の単行本が出たのが2005年8月ですから、この時はまだサラリーマンですよね? 

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『東方文花帖 ~ Bohemian Archive in Japanese Red』
2005年に一迅社より発売された「東方Project」のファンブック。本の後半はアンソロジーコミックだが、前半は天狗の妖怪で新聞記者の射命丸文が執筆した新聞記事と、幻想郷の住人たちへのインタビューという、凝った構成になっている。ちなみに、本が発行された後の2005年12月には、射命丸文が主人公のゲーム『東方文花帖 ~ Shoot the Bullet.』も発表されている。

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ZUN

 ちゃんと仕事もしてますよ(笑)。

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Hiroyuki

 ゲームも作って、音楽も作って、原稿も書いて、それで仕事もして。この時はけっこう殺人的なスケジュールだったんじゃないですか? 

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ZUN

 忙しかったですね。今も忙しいですけど。

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――

『永夜抄』の後、途中に変則的なルールのシューティングも登場しつつ、2007年8月に“いつもの縦シュー”の次回作である『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』【※】が発表されるまで、3年のブランクがありますよね。この間はどういう心境だったのですか? 

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『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』2007年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第10弾。本作から『東方地霊殿』『東方星蓮船』と、守矢神社に関連した3部作が展開される。また本作と『地霊殿』では、自機はスペルカードを使用する代わりに、パワーを消費してボムを発射できる。

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ZUN

 もう一回同じようなゲームを作るよりも、「東方」を止めて次のものを作るべきなのか、それとも会社の仕事のほうにもっと力を入れるべきなのか、人生にちょっと悩んでいた時期でした。

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 その一方で、自分は新作ゲームを作っていないのに、ユーザーさんはどんどんと増えていって。こんなに盛り上がっているのに「東方」を止めることはないだろうと、むしろおもしろくなってきて。それでまた「東方」を作り始めるんです。それが『風神録』ですね。

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商業書籍の執筆を始めたきっかけ

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――

「東方」が商業の雑誌や書籍でも展開するようになったのは、編集者の小此木哲朗【※】さんとの出会いが大きかったと思うのですが?

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小此木哲朗
過去に一迅社で「東方」関連書籍やコミックの編集を担当。現在はKADOKAWAに所属して、東方Project公式マガジン「東方外來韋編 Strange Creators of Outer World.」などの編集を行っている。「2軒目から始まるラジオ」初代アシスタント。

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ZUN

 小此木さんと最初に会ったのは、第1回の例大祭ですね。

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――

「東方」の場合、書籍も単なるファンブックではなく、ZUNさんの個人的な表現が詰まっているのですが、あれはどうやって実現したんだろう? と不思議なんです。

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ZUN

 それは小此木さんにしても、ほかの編集さんにしてもみんな、最初は「アンソロジーを出しませんか?」とやって来るんです。ただそれって、二次創作をやっている人たちのなかから美味しいところをつまんできて、本にして出しませんか? という話ですよね。それは僕にはできないですよ。二次創作をやっている人はみんな勝手に出しているんだから、それでいいじゃんと。

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 そうすると今度は「設定資料集を出しましょう」と言ってきて。でも別にゲームの設定もないし、資料を集めるのも面倒くさいし、それもイヤで。そうなると、謎の企画書籍になるしかないんです(笑)。

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Hiroyuki

 でも、原稿を書いたり絵を描いたりするほうが、ゲームの資料を探すよりも大変じゃないですか? 

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ZUN

 大変だけど、そっちのほうがおもしろいですから。今もそれで首を絞められているんですけど。アンソロジーにしておけばよかったのに、って(笑)。

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Part 8

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_8

ZUNさん退職! ニコニコでのブーム、「ゆっくり」ってなんなの? そして「東方警察」について

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「会社を辞める」と言ってスッキリした

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Hiroyuki

 会社以外でこれだけやっていたら、もう会社に行かなくてもいいんじゃね、ってなりません? 

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ZUN

 この時はまだ、会社にいて趣味でゲームを作っていることが、自分にとってプラスになるんじゃないかと思っていました。会社を辞めて「自分はこれで食っていくんだ!」となると、作品に影響するんじゃないかと考えていたので。

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Hiroyuki

 好きなものじゃなくて、売れるものを作ろうと変わってしまう? 

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ZUN

 生き残るためにこれをやろう、みたいになるのは、僕のなかではかなりリスクのある選択肢だったんですね。

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――

でも結局、2007年には会社を辞めるわけですよね? そこでは何があったんですか? 

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ZUN

 会社側から僕に対する、仕事の負担が大きくなったんです。勤続年数が長くなると、自分の仕事量が増えてくるので。ディレクターとかになってしまうと、もう無責任なことはできないですから。

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Hiroyuki

 そうなる前に辞めるほうが、会社にとってもいいことだと考えたわけですか? 

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ZUN

辞める1年ぐらい前からそう思っていて、「この企画が終わったら辞めよう」というのが何度かあったんです。

それである時、マルチプラットフォーム【※】のゲームの企画が立ち上がって、そのうち2機種のディレクターを僕がやれ、という話になって。朝にそう言われて、その日の夜に部署のみんなと飲みに行って、「会社を辞めようと思う」と言ったんです。みんなも「そうだよね」と。

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 マルチプラットフォーム
1つのゲームタイトルが複数のゲームハードで発売されること。ハードの性能の違いによっては、内容に違いが生じる場合もある。

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Hiroyuki

 ほかの人もそこで「そうだよね」になるんですか? 

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ZUN

 僕が「東方」を作っているのはみんな知っていたので、僕が会社に残っているのは、タイトー七不思議の1つになっていましたから(笑)。僕にその企画を言ってきた上司も、「「東方」をタイトーで出さないか?」と持ちかけてきたことがあるぐらいですから、当然知っていたので。

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Hiroyuki

 ZUNさんが「東方」を作っているのを知っている上で、2機種同時開発みたいな重い仕事を振ってきたということは……。

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ZUN

 仕事を受けるか、それとも会社を辞めるか、みたいな感じだったんじゃないかと思います。だからそこで「辞める」と言って、自分としてはスッキリしましたね。

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ニコニコ動画で「東方」ブームが到来

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――

ZUNさんが会社を辞められて、同人サークルに専念するようになったのが2007年ですが、この少し後ぐらいから、ニコニコ動画で「東方」の大流行が始まります。「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」【※1】(2007年4月)や「ナイト・オブ・ナイツ」【※2】(2008年9月)が出てきたのは、まさにこの頃ですね。

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※1

「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」
『東方妖々夢』で使用されたBGM「ブクレシュティの人形師」「人形裁判 ~ 人の形弄びし少女」をアレンジしたボーカル曲。ニコニコ動画でFlashムービーによるPVが高い人気を獲得し、「東方」アレンジ楽曲の中でも高い知名度を誇っている。楽曲を制作した同人サークル「IOSYS」は、ほかにも「チルノのパーフェクトさんすう教室」などの「東方」アレンジ楽曲を制作している。

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※2

「ナイト・オブ・ナイツ」
『東方花映塚』で使用されたBGM「フラワリングナイト」をアレンジした楽曲。ニコニコ動画では、スピード感あふれる曲調のためか、この曲を使用したMAD動画や派生動画が大量に制作されている。楽曲を制作したビートまりお氏は、「最終鬼畜妹フランドール・S」「Help me, ERINNNNNN!!」など、「東方」アレンジ楽曲の人気曲を多数生み出している。

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ZUN

 ニコニコ動画で二次創作が盛り上がってくれるのは、僕は間違いなく嬉しいんですけど、それまでいたファンの人たちのなかにはこの時期、こうした盛り上がりにすごく嫌悪感を持っている人もいて。

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Hiroyuki

 それは、どんな理由で? 

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ZUN

 この頃になると、原作のゲームを知らないで「東方」に入ってくる人がすごく増えてきたんです。

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Hiroyuki

 それがダメなんですか? 

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ZUN

 なにしろ“東方警察【※】”がいますから(笑)。

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 東方警察
ここで語られている“東方警察”とは、原作ゲームの「東方」を絶対視するあまり、二次創作などのアレンジには不寛容になっているファン、といったニュアンスである。

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Hiroyuki

 “東方警察”ですか(笑)。でも今はもう「原作から入りました」と言うと、「えっ、なんで?」って聞かれるような状況じゃないですか。

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ZUN

 それは原作を宣伝していないからで(笑)。同人ゲームなので、原作から入るのには限界があるんですよ。その限界を破ってくれたのが、ニコニコ動画なんです。ニコニコのサービスが始まった頃から、原作のプレイ動画はけっこう人気があって。アーケードのシューティングよりも、映像を撮影しやすかったからかもしれないですけど。

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「東方」二次創作のガイドライン

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Hiroyuki

 でも、原作をプレイしている動画をそのままアップするのは、厳密には著作権法違反ですよね? 

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ZUN

 そこは僕のガイドライン【※】でも、特に触れていないんです。あのガイドラインが最初に世の中に出たのは、そんなことが技術的にできるとは思っていなかった時代だったので。だからといって、今も良しとはしていないんですけど。

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ガイドライン
ZUN氏は「東方Project」の版権を利用するにあたって、二次創作のガイドラインを公表している。基本的に、ガイドラインに沿って同人活動を行う場合は自由に利用できるが、企業が商業利用する場合には許可が必要となる。ガイドラインは「上海アリス幻樂団」のブログから確認できる。

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Hiroyuki

 良しとはしていないんですか。

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ZUN

 ただ、攻略本とかで画面写真を載せるのはオッケーにしているので、それと同じように、プレイ動画に実況で解説を入れているものはオッケーにしています。ここはけっこう難しいところですよね。実況なりなんなりを加えることで、新しい創作物になるのならオッケーかなと。

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Hiroyuki

 じゃあ、無言でひたすらゲームをプレイしているだけだと、けっこう厳しい? 

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ZUN

 厳しいですね。ただ、ユーザーさんもそんなものは見たくないから、勝手に淘汰されるんじゃないかな。

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――

「東方」二次創作のガイドラインが出されるようになったきっかけは、『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』をRPGにしたフリーゲームが2003年に出てきたことで。それに対してユーザーがZUNさんに「こういうものはOKですか?」と聞いて、ZUNさんが返事したものを外部のサイトでまとめられたと認識しているのですが。

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ZUN

そうですね。ガイドラインというほど難しいものではなくて、その当時に当たり前だったものは、だいだいオッケーだったんですよ。だから、あえてフワッとした書き方だったんですね。いわゆる同人的なものであればオッケーということで。でも今は、どんどん変えていかないと現状に追いつかなくて。

ガイドラインは基本的に後出しなんです。何か問題になるようなものが出てきて、「これはオッケーなんですか?」と聞かれたら、「オッケーですよ」と返事するのがガイドラインなので。

そういう形で出てきているものなので、厳しくする部分はじつは少ないんです。たしかに「これはダメ」というのも、何回かありましたけど。

大切なのは、全部のデータを自分で作ること。もしくは誰かに依頼して作ることです。原作を流用したら海賊版になっちゃうので、あくまで創作してやってくださいということですね。

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「東方」コミュニティと東方警察

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――

Twitterで「東方」関連のアナウンスをするタイミングなどを見ていると、ZUNさんが「東方」のファンコミュニティ全体を考えて行動されていると感じるのですが、それはご自身で意識された上でやられているのですか?

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ZUN

 えっ、それはどういうことですか?

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――

たとえば、「東方」とほかのジャンルのファンが揉めて、炎上しそうになった時に、ZUNさんが絶妙なタイミングで一言つぶやくと、その場が収まったりするじゃないですか。

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Hiroyuki

そんなふうに揉めたりもするんですね。

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ZUN

 二次創作ではけっこうあるんですよ。作品どうしのケンカもあるし、別の作品どうしを混ぜると揉めちゃうし。

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――

そういった場面でZUNさんは、 “コミュニティ・マネジメント【※】”を実践されていると感じるのですが。

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コミュニティ・マネジメント
オンラインRPGやFPSなど、ファンの声が強く影響するゲームでは、ゲームの開発・運営スタッフが生配信や掲示板などを利用して、ファンと直接コミュニケーションを図っている。これにより、開発側の意図をファンに正確に伝えて理解を求めたり、ファンの声をゲームに採り入れたりすることができる。

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ZUN

マネジメントというほどのことではないですけどね。最低限、自分のところに被害が及ばないようにしているだけで。ユーザーどうしが揉めているところに、僕がヘタに口を出すと、余計に炎上しちゃうので……。

基本的にはノータッチのほうが、炎上が収まるのは早いんです。ただ、自分が口を出したほうが早く収まるかなと思った時は、ちょっとだけ口を出すようにしています。

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Hiroyuki

 ZUNさん自身が炎上することもあるんですか? 

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ZUN

 いっぱいありますよ(笑)。僕が二次創作のことに口を出すと、けっこう炎上するんですけど、それはコミュニティの内側の話ですから、外側から見ると目立たないだけです。

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Hiroyuki

 けっこう大変なんですね。

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ZUN

 最近は中国のファンの人たちがよく揉めていて。向こうのファンは「原作を遊んでいない」と言うと“東方警察”に取り締まられるので、みんな必死に原作を買おうとしているんですよ。

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Hiroyuki

 でも、「東方」を中国で手に入れるのは大変じゃないですか。

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ZUN

 だから僕は、「二次創作を楽しむのに原作を遊ぶ必要はない」と言っているんです。すごくマニアックなゲームだし、「東方」の二次創作を楽しんでいる人たちみんなが遊べるような難易度でもないので。

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Hiroyuki

 じゃあ“東方警察”は、いったい誰の意思の元に取り締まっているんですか(笑)。そのうちZUNさん本人も“東方警察”に「間違っている」と言われるようになったりして。

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ZUN

僕もけっこう取り締まられますよ(笑)。原作がいちばん原作ブレイカーだと、よく言われるので。

原作は別に、過去の原作に忠実である必要なんかないですから。だから、突然ヘンな世界観や、ヘンなキャラクターを出したりするんだけど、それは原作しか原作を壊せないので。

 でもまぁ、そういうことをやってもたいていは、「ZUNさんだからしょうがないか」という反応ですけどね(笑)。

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“ゆっくりしていってね!!!”のAAは、炎上の煽りだった

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――

ひろゆきさんにも関係のある話題としては、“ゆっくりしていってね!!!【※】”のアスキーアートが当時の2ちゃんねるに貼られるようになったのも、2008年頃のことです。

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ゆっくりしていってね!!!
「東方Project」の博麗霊夢と霧雨魔理沙が、首だけの状態で「ゆっくりしていってね!!!」と叫んでいるアスキーアート。2008年1月頃から2ちゃんねるの多数のスレッドで見かけるようになり、そのインパクトもあってか、瞬く間にインターネット中に広がった。さらにニコニコ動画などで、このキャラに音声合成ソフト「SofTalk」によるセリフがつけられたことにより、音声合成による棒読み自体が“ゆっくり”の声とみなされるなど、もはや「東方」から離れた独自の発展を遂げている。

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Hiroyuki

 覚えてます。でもあの当時は、“ゆっくり”と「東方」が結びついていない人のほうが多かったと思うんですよ。

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ZUN

僕はわかっていましたよ(笑)。最初の頃に貼られていたのは、完全に煽りでしたよね。スレッドでケンカが始まって、“ゆっくりしていってね!!!”が貼られたら、「ここは炎上しているんだ」という感じで。

あの当時、2ちゃんねるのなかで「東方」はすごく嫌われていて。ゲームの板(掲示板)で「東方」の話は禁止されていましたから。

 「東方」の話が盛り上がると、「また「東方」か」という感じになって、どんな板からも「東方」の話題がNGになっていったんです。だから「東方」ファンの人たちは2ちゃんねるではなくて、「したらば【※】」のほうでやり取りをするようになって。

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したらば
2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)とほぼ同様の形式の電子掲示板をレンタルできるサービス。現在の正式名称は「したらば掲示板」。2ちゃんねるがアクセス不能になった際や、2ちゃんねるから何らかの理由で追い出された人たちが、避難所として利用することも多い。

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Hiroyuki

 へぇ~。

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ZUN

 “ゆっくりしていってね!!!”も最初は、そういう煽りだったんですよ。「荒れてるスレに「東方」が来たよ」みたいな感じで。そういうのもあって、僕は2ちゃんねるに対して、あんまりいいイメージがないんですよね(笑)。

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Part 9

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_9

2軒目ラジオとZUNビールで表に立ったのは“「東方」を作っているZUN”から、“ZUNが作っているゲーム”へ変えたかったから。「最終的には居酒屋をやりたい」

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自分自身が表に出ることを意識している

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――

2010年8月からは、「2軒目から始まるラジオ」【※】という生配信を開始されています。これはなぜ始められたのですか? 

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「2軒目から始まるラジオ」
2010年より月1回ほどのペースで、ZUN氏と小此木哲朗氏の2人で始めた生配信。小此木氏の一迅社退社に伴い、小此木氏にとても声のよく似た2代目アシスタントの豚さんに交代した。基本的にはお酒を飲みながらの雑談となっている。ゲストが出演することもあるほか、公開放送のイベントも行われている。

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ZUN

自分自身が表に出ていくことで、“「東方」を作っているZUN”から、“ZUNが作っているゲーム”に変えていこうとしたんです。そうすることによって、もし自分が「東方」以外のことをやった時でも、それも1つのまとまりとしておもしろくなるだろうと思って。

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Hiroyuki

ほかの何かをやるというのは、何か具体的なイメージはあるんですか? 

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ZUN

たとえば、ひろゆきさんと一緒にやっている“ZUNビール【※】”もそうですよ。あれも自分が表に出ているからできるものだし、それを「東方」ともつなげていけるので。

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 最終的には、自分の居酒屋をやりたいという野望があるので、それもつなげていきたいんです。「「東方」を作っている人が居酒屋を始めました」というよりは、「ZUNが居酒屋を作りました」というほうがいいだろうと。そのためにはまず、自分が露出しなきゃいけないので、Twitterをやったり、生放送をやったり。

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 でもこれは別に特殊なことじゃないですよ。この時代の多くの人が同じことを考えていて、すでに個人で動き始めているはずですから。

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 ZUNビール
「ニコニコ超会議」において、ZUN氏のプロデュースによるオリジナルのビールが、会場で限定販売している。ひろゆき氏プロデュースの“ひろゆきビール”も同時に販売されている。初の「超会議」である「ニコニコ超会議2012」以来、毎回恒例の企画となっている。

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――

おっしゃるとおりですけど、それをZUNさんは、ほかの人がまだあまりやっていなかった、けっこう早い時期から実行されていますよ。

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ZUN

 早かったのかなぁ。たしかに「2軒目ラジオ」は、最初はUSTREAM【※】でしたからね。

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USTREAM
2007年にアメリカで誕生した動画共有サービス。生配信プラットフォームの先駆的存在として人気を集めたが、2016年にIBMが買収。現在は「IBM Cloud Video」として、ビジネス向けの有料サービスを行っている。「2軒目から始まるラジオ」は2010年の開始以来、USTREAMで配信を行ってきたが、2016年からはYouTubeでの配信に移行している。

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いつも帽子をかぶっている理由

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Hiroyuki

 ZUNさんは、僕が見るたびに帽子が毎回違ってますけど、いったい何個ぐらい持ってるんですか? 

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ZUN

かなりたくさん持っていますよ。基本はハンチング帽です。

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――

帽子に対するこだわりはいつからですか? 

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ZUN

 自分が帽子をかぶっているのは、人前に出る時に、自分のキャラクターを覚えてもらうためなんです。そのためのキャラクター付けの1つとして、あえて毎回同じような帽子をかぶっています。そういう考え方はもう、『紅魔郷』が出たあたりからしていましたね。

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 要するに、名刺代わりですよ。コミケという場で優位に立つには目立ったほうがいいけど、あんまり奇抜すぎるのもアレなので……という感じで、帽子をかぶっています。

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 ゲームを作ることと、自分をどう見せるかということは、僕のなかではほぼ同じものなんです。自分をどう表現するか、人前でどうしゃべるかも、1つの作品として楽しもうと。

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――

特にZUNさんみたいな創作形態だと、ZUNさん本人とゲームはイコールに見られがちですよね。

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ZUN

 だから見た目もそうだし、Twitterや生放送で発言するのも、あんまりヘンなことを言わないようにしないといけないですから。それもキャラクターですね。

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Hiroyuki

 SNSやふだんの発言も、自身の作品だということですか? 

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ZUN

 だからといって無理をしているわけではなくて、あくまで素の自分だし、ゲームも素で作っているんです。そうすると、その素から外れるものは自分らしくない、ということになるので。そういう意味でゲームと自分はイコールですね。

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Hiroyuki

 そう考えると、ZUNさんって大失敗しないですよね。有名になった人はどこかで判断を誤って、「こういうことをやっちゃうんだ!?」って、みんながワーッと引いていくようなことをしてしまうんだけど、ZUNさんは決してやらない。

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ZUN

 恥ずかしいことはしないようにしていますから。気が大きくなるのは恥ずかしいことだと思っているんですけど、遠慮しすぎるのも恥ずかしいと思っていて。人前で堂々と自慢しつつ、だけど大きくなりすぎないという、ちょうどいいバランスをずっと考えていますよ。

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 ひろゆきさんは逆に、そういうことをあまり考えないですよね? 

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Hiroyuki

 僕はむしろ、表に出たくないですから。ずっと家に引き籠もっていたい派なので。

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ZUN

 じゃあ今日はなんで出てきたんですか? 

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Hiroyuki

 タダでお酒が飲めるから(笑)。

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先のことを考えてゲームを作るのは止めた

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――

原作ゲームの話に戻りますが、『東方永夜抄 ~ Imperishable Night.』で一区切りを迎えて以降、ZUNさんご自身として「ここが区切りかな」と思うところはあるのですか? 

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ZUN

 『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』『永夜抄』と3部作を作りました。その後、『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』『東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.』【※1】『東方星蓮船 ~ Undefined Fantastic Object.』【※2】と、同じような感じで3部作を作ったんです。『風神録』を作り始めた時点で、3つ作るのは決めていましたから。

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 ただ、『風神録』からの3部作を作っている頃は正直、かなり悩んでいる時期でした。「これからの人生をどうしよう?」とか、「会社を辞めたんだし、もうちょっと新しいことをしなきゃいけないのかな?」とか。

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※1

『東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.』2008年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第11弾。幻想郷に温泉が湧き出す騒ぎから、地底に棲む地霊との争いが巻き起こる。本作の自機は霊夢と魔理沙だが、それぞれに用意されている支援キャラを選択することで、攻撃などの性能が変化する 。

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※2

『東方星蓮船 ~ Undefined Fantastic Object.』2009年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第12弾。空を飛ぶ宝船を巡る物語が描かれており、アイテムを集めることで巨大UFOが出現する“ベントラーシステム”が盛り込まれている。

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Hiroyuki

 変わらなきゃいけないと思った理由は、何だったんですか? 

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ZUN

 飽きるから(笑)。それは自分も飽きてしまうし、同じことを続けていてユーザーさんがついてきてくれるのかという心配もあるし。今は「東方」がこんなに盛り上がっているけど、一生これが続くわけではないと思うので。

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Hiroyuki

 けっこう心配性ですね。

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――

その心配に対する答えは出たのですか?

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ZUN

 『星蓮船』が出てからまたしばらく、間が空いていると思うんですけど。

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――

そうですね。整数ナンバリングの本編は、2009年8月の『星蓮船』から2011年8月の『東方神霊廟 ~ Ten Desires.』【※1】まで、2年空いていますね。その間に出たゲームは、『ダブルスポイラー ~ 東方文花帖』【※2】や『妖精大戦争 ~ 東方三月精』【※3】と、ちょっと変則的なゲームシステムになっていて。

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※1

『東方神霊廟 ~ Ten Desires.』2011年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第13弾。幻想郷に出現した神霊を調査するという物語で、条件を満たすと霊界に突入し、自機が無敵のトランス状態となることができる。

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※2

『ダブルスポイラー ~ 東方文花帖』2010年3月の博麗神社例大祭で発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第12.5弾。第9.5弾の『東方文花帖 ~ Shoot the Bullet.』と同様に、敵の撃つ弾幕を写真に撮影するという独特のゲームシステムになっている。自機は『東方文花帖』の射命丸文に加えて、姫海棠はたても選択可能。

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※3

『妖精大戦争 ~ 東方三月精』 2010年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第12.8弾。コミック『東方三月精 ~ Strange and Bright Nature Deity』で描かれた、チルノvs光の三妖精の物語が展開される。自機のチルノはアイスバリアによって、敵弾を凍らせることができる。

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ZUN

 そこはまたちょっと悩んでいる時期ですね。それで『神霊廟』を出す時に、自分の考え方が変わったんです。

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 それまでは「今後はこういうストーリーでこういうものを作っていこう」とあらかじめ考えていたんですが、それを止めました。この作品から先はどうなるか分からない、というものを1作品、バン! と作ったのが『神霊廟』です。

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 『神霊廟』を作ったのはちょうど東日本大震災の年で、いろんな人がいろんなふうに変わっていく時だったんです。それで自分も、この先はもっと刹那的に作っていこうと。この後は終わりがあるのかどうか、自分でもわからない。とりあえず作れたら作ろう、という形に変えました。

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――

とにかく作り続けることが大事だと? 

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ZUN

 そういうふうに変えたのが、このタイミングですね。今はそこから8年ぐらい経っていますから、実際に続けてきているわけです。それまで本編は1年に1本ぐらいのペースでしたけど、ここからは2年に1本ぐらいのペースに変わっているはずです。

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Hiroyuki

 今はそれぐらいのペースがちょうどいいんですか? 

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ZUN

 本当は1年に1本ぐらいのペースでも出せそうなんですけど、間が空いてる時期に、自分自身の人生でのイベントが入ってきたので。結婚して、1人目の子どもが生まれて、2人目が生まれてという年が、ちょうど空いているんです。

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——

たしかに2019年夏の『東方鬼形獣 〜Wily Beast and Weakest Creature.』【※】までは、2年に1本のペースですね。ということは、次回の本編は2021年になると?

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『東方鬼形獣 〜 Wily Beast and Weakest Creature.』
2019年8月のコミックマーケットで発表された、Windows用弾幕シューティングゲームで、「東方Project」の第17弾。霊夢、魔理沙、妖夢の3人が自機として登場し、動物霊の力を借りて、地獄の動物霊の討伐に向かう。オオカミ霊、カワウソ霊、オオワシ霊の力を選択することで、自機の性能が変化する。

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ZUN

 どうだろう(笑)。こういう構想で出すというのがなくなっているので、この先どうなるのか、僕自身も想像がつかないんですよ。

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自分を音楽家だと思ったことはない

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Hiroyuki

 「東方」に新規で入ってくる人は,音楽がきっかけになっていることが多いので、ZUNさんの職業はまず、音楽家だと認知していると思うんです。

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ZUN

 僕の職業はプログラマーですよ。自分が音楽家だと思ったことはないですから。たまに音楽のイベントに呼ばれると、場違い感が強くて。

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Hiroyuki

 自分が音楽家とは違うと思う理由はどこなんですか? 

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ZUN

 音楽を作りたいというよりは、ゲームミュージックを作りたかったんです。だからやっぱりゲームなんですよ。ゲームをおもしろくするために音楽を作っているので、曲をゲームに入れた時点で、作曲家としての僕は満足しているんです。

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 僕の音楽を聴いて盛り上がっている人はきっと、頭のなかにゲーム画面を思い浮かべているんだと思います。そこにいるキャラクターを想像しているから、盛り上がるので。だから音楽単体では勝負していないんです。

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Hiroyuki

 もし作曲の仕事を依頼されたら、どうします? 

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ZUN

 何度かありますよ。おもしろそうだけど、できる自信がなくて断っちゃいますね。

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Hiroyuki

 原稿を書くよりは、作曲のほうが早そうなイメージですけど。

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ZUN

 音楽を聴いていいと思えるようになるためには、ゲームが良くなきゃいけないので、そこまでタッチできないと怖いですね。ただ曲を作って渡すだけなのは、勇気が要ります。化けの皮がはがれる、みたいな(笑)。

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Hiroyuki

 ゲームと関係ない音楽ならいいんじゃないですか? 「ウチの学校の校歌を作ってほしい」とか。

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ZUN

 それはやってみたいなぁ(笑)。

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Part 10

https://touhougarakuta.com/interview/specialtaidan_zun_hiroyuki_10

もう東方からは逃れられない。理想は新作のシューティングゲームを作り続けていること。“野に放たれた”「東方」を僕自身も楽しみに見ていく。

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今はもう同人ショップでCD-ROMを買う時代ではない

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――

ZUNさんが作る「東方」とは別に、二次創作の「東方」は今、“Play, Doujin!【※1】”や“電書流通【※2】”といった形で、商業流通にも進出しています。

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※1

Play, Doujin!
これまでPCでしか遊べなかった同人ゲームが、PlayStation 4やNintendo Switchなどのコンシューマ機でもリリースできるように支援するプロジェクト。「東方」の二次創作だけでなく、オリジナル同人ゲームなども対象となっている。

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※2

電書流通
「東方」二次創作の同人誌を、ZUN氏氏公認の流通により電子書籍として販売を行うプロジェクト。「ニコニコ書籍」と「BOOK WALKER」で購入できる。

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ZUN

 僕としては本来、そういうことはあんまりやりたくなかったんです。でも今はもう、同人ショップでCD-ROMを買って、それをパソコンに入れて遊ぶという時代ではないので。

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 その状況で、コンシューマ側のほうから「同人ソフトを出したい」と言ってきたので、これは乗ったほうがおもしろいだろうと思ったんです。

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 以前は、権利を持っていかれるイメージがあったので「コンシューマはやりたくない」と言っていたんですけど、権利をちゃんとこちらで持った状態でやれるのであれば、それはガンガンやったほうがいいと。

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Hiroyuki

 ZUNさん自身はコンシューマで出そうと思わないんですか? 

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ZUN

 コンシューマで出したいとは、あんまり思っていないですね。

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 僕はゲームを作れたら、それで満足なので。そのあとは売れようがどうなろうが、あんまり興味がないんです。もう歳なので、新しい開発環境にそこまでがんばって対応しようという気がないんですよ。

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――

ZUNさん自身は別にそういうところでやる気はないけれど、二次創作を売る場所がなくなるのはかわいそうだから「Play, Doujin!」もオッケーだし、「電書流通」もオッケーしたということですか? 

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ZUN

 ちょっと言いづらいですけど、「東方」が勝手に大物になってくれれば、将来的には僕自身もきっと得をするので(笑)。直接お金が入ってくるとかじゃなくて、みんなが「東方」の二次創作を出していることが、自分にもプラスになるかなと。

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――

二次創作の作品が広がることで「東方」自体も成長していくし、それはZUNさん自身にとってもメリットがあると。

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Hiroyuki

 ZUNさんの話を聞いていると、自分の作ったゲームを広げていきたいとか、シューティングゲームを流行らせたいとか、そういう発想はないんですね。自分はこれを作りたい、というだけで。

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  これをやるとお客さんが喜ぶだろうとか、そういうマーケティング的な意識ってどこかで普通、しちゃいません? 

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ZUN

 してないですね、建前上は(笑)。そういうことを意識していないもののほうが売れるというのが、昔の同人の世界にはあって。作っている人が本当に好きになっているものじゃないと売れないんです。そういう意味では“自分の好きなものを作る”ことが、マーケティングの1つになっているんですよ。

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Hiroyuki

 それ自体がマーケティングなんだ。なるほどね。

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 以前からSteamで「東方」を配信したかった

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――

二次創作の「Play, Doujin!」とは別に、公式の「東方」作品をSteam【※】で配信するようになりましたが、これは? 

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Steam
アメリカのValve社によって2003年からサービスが開始された、PCゲームのダウンロード販売プラットフォーム。ダウンロード購入の便利さと、海賊版対策のメリットから、ユーザーとメーカーの双方で利用が広がった。現在では海外のみならず日本でも、PCゲームをプレイする際のスタンダードな購入法として定着してきている。

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ZUN

 以前から、Steamで出したいとは思っていたんです。なかなか実現しなかったのは、Steamで出すのがすごく大変だったからで。外国の法人が必要だとか、お金のことを全部英語でやらなきゃいけないとか。それが今は、ローカライズしなくても出していいよ、みたいになったので。言ってしまえば、向こう側が折れたから、出せるようになったんです(笑)。

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Hiroyuki

 ZUNさんが変わったんじゃなくて、Steamの運営元のValve社が変わったんですね。

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ZUN

 そうなんですよ。

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――

Steamで販売することによって、「東方」を海外のファンも買うことができるようになりました。

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ZUN

海外のイベントに呼ばれて、いろんな人が「「東方」はスゴイ」と言ってくれるんだけど、今までに「東方」を正式な形で海外に出したことは、一度もなかったんです。Steamで出したかった理由は、そこなんですよ。

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Hiroyuki

 じゃあ今までみんな、どうやって遊んでいたんだと(笑)。

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ZUN

 そうですよね(苦笑)。だから順番が逆になってしまうんだけど、Steamで「東方」を出すことによって、海外の人たちとも、もうちょっと一緒に盛り上がりたいなと。

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――

すごく一般的な質問になりますが、今後の同人ゲーム流通は、即売会からオンラインに移っていくのでしょうか? 

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ZUN

 即売会がメインだったことは、いまだかつてないですよ。同人ゲームを遊んでいる人の多くは、同人ショップで買っていましたから。なにしろ、即売会で売っているのは1日だけですからね。

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 でも同人ショップで買うという時代でもなくなってきたのは確かです。通販も昔からありましたけど、でもやっぱり、今後はダウンロードがメインになるでしょうね。

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――

ということは逆に言えば、同人ショップからダウンロードに移っても、即売会というお祭りで出すこと自体は変わらない? 

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ZUN

 即売会で出すのは、しばらくは変わらないでしょうね。

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Hiroyuki

 即売会で出さなくなったとしたら、何が変わるんですか? 

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ZUN

 締切がなくなる(笑)。

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Hiroyuki

 そこなんだ(笑)。

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ZUN

 「この日を逃すと、もう出すところがない」となるから、みんながんばってゲームを作ることができるんです。それがなくなると、「7月に出そうと思ったけど、間に合わないから9月でいいや」みたいになるのがもう、目に見えているので。だから、即売会はないと困りますね。

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スマートフォンでも「東方」二次創作をたくさん出したい

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――

「東方」の二次創作ゲームはコンシューマだけでなく、スマートフォンでも発表【※】されていますが、この点についてZUNさん自身としては、どのように考えているのですか? 

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スマートフォンでも発表
ZUN氏公認の「東方」二次創作スマートフォンゲームアプリとして、『東方キャノンボール』がリリースされた。今後も『東方LostWord』のリリースが予定されている。

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ZUN

 これから先は、スマートフォンでも二次創作のゲームをたくさん出していこうと思うんです。

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Hiroyuki

 えっ、そうなんですか? 

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ZUN

 コンシューマと同じように、二次創作のゲームをスマートフォンで出すということは、ほかではやっていないので、これはやっていきたいなと。その結果、どうなるかはまだわからないですけど。

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Hiroyuki

 権利とかは大丈夫なんですか? 

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ZUN

 権利の許諾はしていないけど、出してもいいよ、みたいな感じですね。原作者がオッケーだと言っているんだから、AppleやGoogleがダメという理由はないはずなので。

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――

スマホでの二次創作はオッケーしても、自分ではやろうと思わないのですか? 

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ZUN

 自分でもやってみたいとは思うんですけど、その労力には見合わないかなぁ。スマートフォンで開発するために、もう一回イチから勉強し直さないといけないのが面倒くさくて。

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  逆に今、最新のものじゃない昔のハードで作ってみるのもおもしろいかもしれないですね。今あえてファミコンで作ってみるとか。

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Hiroyuki

 今は若い子がPC自体を持っていないですから、スマートフォンでシューティングゲームをやってもらわないと、シューティング人口自体が先細っていきますよ。

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ZUN

 そうなんですよねぇ。

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――

新しいファンに「「東方」って何から遊べばいいんですか?」と聞かれた時に、やっぱり『紅魔郷』からの3部作をやってほしいと思うんですけど、今は遊ぶ方法がないんですよね。

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ZUN

 それはしょうがないですよ。そのうち、スマホでWindowsシミュレーターが出るかもしれないし。

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Hiroyuki

 そんなレベルで丸投げなんだ(笑)。

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「東方」が小学生女子に大人気

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――

コンシューマやスマートフォンに「東方」が拡散するだけでなく、今は「東方」ファンの低年齢化が急速に進んでいて。なぜか小学生女子が「東方」を知っているという世の中になってきています。

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ZUN

 けっこう小さい子、それも女子ウケがいいんですよね。それはまったく予想しない展開でした。僕のところに原作のゲームを買いに来てくれるのは、大きい男の人ばっかりなんですけど(笑)。

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――

キャラの服装が、女子ウケするものだったりしますよね。あと、やっぱり“ゆっくり”なんですよ。ゆっくり実況【※】が、ニコニコ動画から離れてYouTubeでも流行っていて。それを小学生の女の子が“ゆっくりまんじゅう”と呼んで、喜んで見ているという。

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ゆっくり実況
ゲームのプレイ動画や各種の解説動画などに、音声合成ソフト「SofTalk」によるナレーションをつけたものを指している。“ゆっくりしていってね!!!”のキャラクターが画面に登場して、キャラクターがしゃべっている形式になっているものだけでなく、機械的な音声によるナレーション自体が“ゆっくり実況”と呼ばれる場合もある。

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Hiroyuki

 そうなんだ。

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――

ゆっくり実況者の人たちは「東方」が好きですから、実況で霊夢や魔理沙の話をすると、それを小学生が覚えていて。そこから「東方」が広まっていくんです。

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Hiroyuki

 ZUNさんのお子さんの友達にも、「東方」を好きな子がいたりするんですか? 

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ZUN

 ウチの子はまだ小さいので、さすがにそんなことはないんですけど、児童会に行くと、小学生の子がエレクトーンで「東方」の曲を弾いたりしてますよ(笑)。

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Hiroyuki

 「今のはオレが作った曲じゃん!」って(笑)。

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ZUN

 さすがに驚きました(笑)。

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自分が亡くなった後も生き続ける著作権はイヤだ

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――

ZUNさんにお子さんが生まれたことで、創作に何か変化はありましたか? 

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ZUN

 変化を感じるのは、ユーザーさんのほうかもしれないですね。僕のほうはずっと自分のことしか考えていないので、変化していても気づかないです。変化があるとしたら、作る時間がキツくなったかな。それまでは夜に作ることもありましたけど、今は朝6時に起きていますから。そういう変化はあります。

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――

そんななかで、ご自身がいつまでゲームを作るか、みたいなことを考えたりはしますか? 

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ZUN

 さっきも言ったように、何年後にこれをしようとかは考えないで、作りたい時に作ろう、という形に変えました。ただそうすると、逆に終われないですね。「これで最後にします」みたいなことを言う方法がないので。

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――

このままずっと1人で作り続けるのですか? 

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ZUN

 そうなっちゃいますよね……。あんなシューティングを80歳の爺さんが作っていたら、どうなんでしょうね(笑)。それはそれで、ちょっとおもしろいなと思ってはいますけど。

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Hiroyuki

 ZUNさんが見込んだ若いエンジニアを連れてきて、「こうやって作れ!」って、一子相伝的に後継者を育てたらいいんじゃないですか? 

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ZUN

 それは利権ですよ(笑)。僕が亡くなった後にも生き続ける著作権はイヤだなぁ。ディズニーみたいにはなりたくない。

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Hiroyuki

 ZUNさんが死んでも、みんなが突然「東方」を嫌いになるわけはないので、そのまま残り続けると思いますよ。

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ZUN

 過去のものとして残ることはあるかもしれないけど、生きているコンテンツとして残り続けるとしたら、それこそラヴクラフト【※】みたいにならないと。

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ラヴクラフト
アメリカの小説家、H・P・ラヴクラフトのこと。『インスマウスの影』『クトゥルフの呼び声』といったラヴクラフトのホラー小説は、1937年に彼が死去した後、彼を師と仰ぐオーガスト・ダーレスにより“クトゥルフ神話”として体系化された。それから現在に至るまで、クトゥルフ神話をモチーフにした小説やアニメ、ゲームなどが、多くのクリエイターによって生み出されている。

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――

逆に言うと、「東方」はまだクトゥルフ神話みたいにはなっていないというのが、ZUNさん自身の認識なんですね。

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Hiroyuki

 みんながずっと「東方」の二次創作を続けていたら、いずれそうなるんじゃないですか? 

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ZUN

 たぶんならないですよ。二次創作の二次創作は少ないですから。二次創作から新キャラを作って、そこでストーリーを作って広めていこうという流れにはなっていないので。

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Hiroyuki

 そこのハードルは高いんだ。

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ZUN

 なにしろ“東方警察”がいますから(笑)。

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Hiroyuki

 なるほど(笑)。

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――

今後の「東方」をどういった方向に持っていきたいのか、作者として、あるいは“神主”として、何か思うところはありますか? 

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ZUN

 これから先、パソコンでゲームを作ること自体がレアになっていくかもしれないですよね。そうなったとしても、レトロな縦シューティングみたいなものをずっと作れたらいいなと思います。商売としては成り立たないかもしれないけれど。新作のシューティングゲームを作り続けていられるというのが、僕のなかでのいちばんの理想ですね。

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 あとは、いろんなゲームに「東方」のキャラクターが出て、勝手に「東方」が有名になっていってほしいです。だから『スマブラ』に出たい(笑)。でもそれは、僕が思っていても実現するものではないので。

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「東方」実写化の可能性は!?

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――

「東方」がメジャーになるという意味では、アニメ化などには興味があります? 

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ZUN

もちろんありますよ。実写とか。

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Hiroyuki

 実写化は大変だなぁ(笑)。

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――

二次創作でやってもらうぶんには構わない? 

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ZUN

 いやいやいや……。う~~ん、二次創作だと100パーセント失敗するから、それなら自分でやるかなぁ。それで実写化をやって失敗したい(笑)。

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Hiroyuki

 実写はどうやってもキツいですって(笑)。

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ZUN

 実写なら、「おもしろかった」とかじゃなくてギャグですから。そういうのだったらやってみたいですよ。

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Hiroyuki

 ZUNさんの人生のなかで、お酒とシューティングゲーム以外に、何かおもしろいことって生まれてこないんですか? 

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ZUN

 ひろゆきさんはそう言うけれど、おもしろいことが2つもあるだけで、すごくないですか? 

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Hiroyuki

 僕がもしゲームを作る立場だったとしたら、RPGを作りたいとか、シミュレーションを作りたいとか、いっぱいありますよ。

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ZUN

 僕も好きなゲームはいっぱいあるけど、そっちは「遊びたい」なんです。じゃあそれを自分で作りたいか? と聞かれると、そうでもなくて。

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Hiroyuki

 「遊びたい」と「作りたい」は違うんだ。

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ZUN

 別物ですよ。お酒を飲むのが好きな人がみんな、お酒を作りたいわけじゃないですから。

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Hiroyuki

 じゃあシューティングゲームだけは、ZUNさんが「作りたい」って思う特殊なジャンルなんだ。それはZUNさんが作らないと、シューティングゲームというジャンルが滅びるからじゃないんですか? 

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ZUN

 滅びゆくところが楽しいというのも、たしかにありますけど。

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――

「東方」の舞台である幻想郷【※】もまさに、滅びゆくものがたどり着く場所、みたいになっていますよね。

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幻想郷
「東方」の物語の舞台となっている、日本の山奥に存在するとされる土地のこと。博麗大結界により外の世界から隔離されたこの土地では、妖怪や妖精といった“幻想の生き物”と、わずかながらの人間が暮らしている。

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ZUN

 それはたぶん、シューティングがそういう状況だったから、自分もそういうものが好きになったんじゃないかなぁ。シューティングが滅びそうだったから、「東方」の世界観も滅びゆくものがいる場所なんですよ、きっと。

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自分はもう「東方」から逃げられない

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――

ZUNさんは今後、「東方」とは関係のないゲームや小説などを作ってみたい気持ちはありますか? 

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ZUN

 それはねぇ……。昔、そういうことを考えてみたこともあったんです。でも「東方」がこれだけ大きくなった以上、ぜんぜん違うものを考えても、「東方」を作った作家だということがバレた時点で、「これは「東方」だ」ということになっちゃうと思うんです。

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  ぜんぜん違う世界観で作っても、どこかで共通点が出てきてしまう。同じ作家である以上、まったく違うものを作る必要もないですから。自分の好きなものを出したら、結果的につながっちゃう。

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Hiroyuki

 「東方」からはもう逃げられない? 

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ZUN

 逃げられないですね。これはもう事実だから。もう何を作っても「東方」にしかならないし、そうじゃないものを作ったら、僕の良さがなくなりますよ。じゃあ、それなら「東方」でいいや、という感じかなぁ。

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――

そろそろお時間ということで。

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Hiroyuki

 もう終わりですか? 

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――

あなたが2時間遅れてきたからですって(笑)。

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ZUN

 保育所に子どもを迎えに行かないといけないんですよ。

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――

それでは最後に、「東方」ファンのみなさんにメッセージをお願いします。

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ZUN

 これからものんべんだらりとゲームを作っていきますので。作ったり作らなかったり、ここで言ったことも急に変えちゃうかもしれませんけど、そんな感じでフラフラ生きていくのを、楽しんでもらえればと思います。

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  「東方」がこれからどうなるのか、僕にもよくわからないですから。最近お気に入りの言葉で言えば「野に放たれた」ので。これから先の「東方」を、僕自身も楽しみに見ていこうと思います。

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